セリーヌ・シアマは、2007年のフランス映画界に突如現れた新人女性監督だ。仏文学の修士号を得たこの才媛は、続けてフランスの名門映画学校として知られるフェミス映画学校の脚本コースに学んだ後、脚本家としてデビュー。ほどなく、弱冠27歳にして本作で監督業にも進出した。処女監督作が、カンヌ国際映画祭“ある視点”部門部門に出品されたことからも、その才能はお墨付きと言えよう。
シンクロナイズド・スイミングの競技会に向けて練習を重ねる10代の少女たち。その傍らには、熱い視線を向ける15歳の少女マリーの姿がある。その視線の先には、大人びた雰囲気の上級生フロリアーヌの姿があった……
©LES PRODUCTIONS BALTAHZAR 2007 |
冒頭部から、弾ける若き肢体の眩さに目を奪われるが、その一方で、不安定な感情に揺らぐマリーの欲望に囚われた視線が、不穏な種を観るものの心中に植え付け、観る者を釘付けにして止まない。やがて、その種は、瑞々しくも生々しい思春期の少女たちのドラマとして芽吹き、妖しくスリリングなドラマを綴っていくのだが、そこで振り撒かれる露悪的とも思える青春の澱が、プールの水面のように美しい思春期の只中に波紋を広げていく。大人の視線を排除し、徹頭徹尾、少女の視点から綴られるドラマ。観賞前は、そのプロットから、かつて一世を風靡した“フレンチ・ロリータ”という言葉を連想したが、本作は決して男性の欲情を刺激するような扇情的な物語ではない。
およそ肉感的と呼ぶには程遠い、まるで少年のような体つきをしたマリーの恋と、彼女の親友で、御世辞にも美少女とは言えない太めのアンヌの恋が、ほぼ同じ瞬間に花開きはじめる。今、まさに開かんとしている青いつぼみが、この後、一体どのような花弁を示すのか。その蟲惑的なドラマに、相当な毒気が孕まれていることに気付きながらも、いや、その毒気にこそ惹き付けられてしまう。そこに、決して綺麗事ではない生の青春模様が映し出されていることに、動物的な感が働くからだ。目を背けたいけれど、背けられない吸引力。それに抗うことなく食いつかせてしまう背徳の魅力が本作にはある。この感触は、アメリカのラリー・クラークの『KIDS』『KEN PARK』や、ガス・ヴァン・サントの『エレファント』に近いものがある。
原題『NAISSANCE DES PIEUVRES』は『蛸の誕生』の意。蛸はフランスでは“厄介者”という意味を持つらしい。なるほど、蛸の吐き出す黒い墨のようなものを、本作の少女たちは孕んでいる。また、英題の『WATER LILIES』は睡蓮の意であるが、ここにも暗喩が満ちている。この英題を2語に分けると“水”と“百合”。その内“百合”は、レズビアンを示す隠語でもあるのだ。この詩的とも言える、美しさの中に毒を有した作品のタイトルを、日本では『水の中のつぼみ』とした。原題・英題に勝るとも劣らない秀逸さである。本作そのものの出来栄えと共に、この邦題のセンスも高く評価したい。
その素晴らしさは、2007年度セザール賞授賞式において、名誉賞を受賞したジャンヌ・モローが、その壇上からセリーヌ・シアマ監督と、新人女優賞部門にノミネーとされていた2人の名を呼び、そのトロフィーを手渡したというエピソードからも窺えよう。恐るべき新人監督が誕生した。必見と言いたい。
水の中のつぼみ http://www.tsubomi-movie.jp/
原題『NAISSANCE DES PIEUVRES』