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text/金水 正

彼はどこと繋がり、誰と議論しているというのか。誰の声を聞いているというのか。

 

 

 

子どもの頃、サンダーバードの国際救助隊の隊員がいまでいうデジタル表示の腕時計を持っていて、それをかっこいいと思いながら、いつかそんな時計が本当に現れるのはもっとずっと先のことだと思っていた。ウルトラマンの科学特捜隊の隊員が胸につけてる流星のマークは単なるマークではなく、無線の通信機になっていて、一番上のアンテナを伸ばすと隊員同士で会話を交わすことができるのだ。何かの折りに、何かの景品か何かで、その流星のマークのおもちゃを手に入れて、それだけでも随分嬉しかった。こんなに早く、こんな勢いで、携帯電話が普及するとは思ってもいなかった。マナーのことはさておいて、どうしても携帯電話のことを、それ自体悪くいう気が起こらない。

いまから20年ほど前、大学生の頃に、遅ればせながらにウォークマンを手にして、あれは東京の神楽坂だったと思う。街頭の光が雨でにじむ夜の街をコルトレーンのジャズを聴きながら歩いてると、まるで映画のようだと思った。ウォークマンはいまいる場所を、まったく別の場所に変換してしまう。これは革命的な機械だと思った。

心のうちで誰かの声を思い浮かべるとき、心のうちで音楽を鳴らすとき、どこかで軽やかなエンジンのようなものがそれらの発声を支えているのを感じることができる。そして、そのエンジンの運動は、"私"に起因すると感じている。その感覚がなくなれば、それは幻聴、あるいは分裂病者の妄想につながっていくのだろう。(内声の政治学<2>

眼鏡の内側には3Dの映像が外界の映像のじゃまにならない角度で映し出されている。音は眼鏡の鞘から直接的に内耳に伝わってくる。マイクはブツブツとつぶやく声を確実に拾ってくれる。そのような携帯機器が近い将来に出来上がるだろう。ウェヤラブル・コンピュータをもっと軽快にしたようなものだ。目と、耳から情報がやってくる。世界中のさまざまな人と、情報と街を歩きながら繋がっていて、人は、ぶつぶつとつぶやきながら歩いている。あるいは大声でがなり立て、大いに議論をしているかもしれない。

彼はどこと繋がり、誰と議論しているというのか。誰の声を聞いているというのか。ひょっとすると、あれはただの眼鏡かもしれない。彼は、精神を病んでいるのかもしれない。

    
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