アラン・ロブ=グリエの死を、映画というフィールドから見つめる文章の少なさ・不正確さは充分に予想できたことではある。彼の訃報は即座に世界中を駆け巡ったが、それはあくまでヌーヴォー・ロマン派の代表的作家の、あるいはアカデミーフランセーズ会員の死として報じられたに過ぎず、アラン・ロブ=グリエを語るに不可避たる映画作家としての側面については、ただただ『去年マリエンバートで』(1960 アラン・レネ監督)の脚本家としての言及に終始した。中には、「『去年マリエンバートで』のヴェネチア国際映画祭グランプリ受賞監督としても知られるアラン・ロブ=グリエ」などという、事実誤認甚だしい記述が見られ、思わず溜息をついたものであったが、その誤りを指摘する声が見られなかったという事実には、より一層のやるせなさを感じたものである。

 文学界においては、その偉大な功績が大いに称えられ、確固たる存在として認知されているアラン・ロブ=グリエだが、映画界においては、とても正当な評価を与えられているとは言い難い。これまで、アラン・ロブ=グリエの名が、映画というフィールドで語られる時、それは常に『去年マリエンバートで』という作品と共にあった。極めて前衛的なこの作品は、ヴェネチア国際映画祭において確かにグランプリに当たる金獅子賞を受賞したが、監督は『24時間の情事』で知られるアラン・レネ。アラン・ロブ=グリエは脚本を執筆したのみである。確かに、彼の手によるこの脚本と、その映画化作品である『去年マリエンバートで』は、記号学的な <らしさ> を存分に生かした秀逸なもので、一つの物語としてまとまった脚本を4つに解体し、更にそれをダイヤグラムを用いて全編に散りばめ、混交させるという特異な手法や、その記号学的文体を、シンメトリックな映像美で見事に表現した演出・撮影の見事さと併せて、長く語り継がれるべき傑作ではある。その点において、この作品がアラン・ロブ=グリエの映画における代表作であることに全く異論はないのだが、映画人・映画作家としてのアラン・ロブ=グリエは、この作品を起点として <始まった> のである。『去年マリエンバートで』の脚本家として(時に、この「監督である」などという誤解を伴ったままで)のみ語られているという現状は、大変嘆かわしい。

【アラン・ロブ=グリエは、小説家・文筆家であると同時に、映画作家でもあった】

という事実が無視されているという現状に言い知れぬ違和感を憶えるのである。

『去年マリエンバートで』で映画界に進出したアラン・ロブ=グリエは、以後、2000年代まで監督として10本以上、脚本家としてはそれ以上の映画作品を遺している。この事実は、彼が <小説家の余技として映画に携わった> のではなく、 <小説家であると同時に映画作家たらんとした> ことの証左であり、そのことをまず声高に主張したい次第である。これを、およそ正しく伝えつつ、真摯な検証を試みた人物というのは、我が国において非常に少ない。蓮實重彦を筆頭とするカイエ・デュ・シネマ派が熱心に彼を論考・研究した以外は、ほぼ無視されたといって良い。そして、それは世界的な視野で映画評論界を見渡してみたところでさして変わらない状況であり、映画作家としてのアラン・ロブ=グリエは、とても正当な視線で迎えられたとは言い難い状況にあるのである。それが、彼の訃報に如実に表れた。

 アラン・ロブ=グリエは、映画作家として実に40年以上もの長きに渡り精力的に作品を発表し続けたという事実を、ここに記しておきたい。しかし、我が国で一般劇場公開された彼の監督作品は僅かに1本。『囚われの美女』のみである。脚本家としては、先述した『去年マリエンバートで』を除けば、『夜の蝶』などで知られるベルギー出身の世界的アニメーション作家:ラウル・セルヴェによる『タクザンドリア』(1994)のみ。ここに、日本劇場未公開・ソフト発売のみという形で紹介された『危険な戯れ』(1975)と、遺作となった『グラディーヴァ マラケシュの裸婦』(2006)、そして特集上映という形でごくごく限定的に紹介された『不滅の女』(1963)、『ヨーロッパ横断特急』(1966)、『嘘をつく男』(1968)、『エデンその後』(1970)、『快楽の漸進的横滑り』(1974)を加えることができる。これが、我が国における映画作家として紹介される機会を得たアラン・ロブ=グリエの全体像ということになるが、一般的にはやはり「『去年マリエンバートで』の……」となってしまう。ごくごく一部のインテリ層やアラン・ロブ=グリエ支持層に辛うじて支えられているに過ぎず、より広く拡散的に需要されるに至っていない映画作家としてのアラン・ロブ=グリエは、その死を以ってしてもその実像を認知させるに至っていない。

 同じヌーヴォー・ロマン派として知られたマルグリット・デュラスや、アラン・ロブ=グリエの信奉者として大きな影響を受けたというジャン・フィリップ=トゥーサンが、小説家であるのと同じく、映画作家としても正当な評価を受けているという事実が、より鮮明にアラン・ロブ=グリエの不幸を際立たせる。デュラスやトゥーサンが発表した監督作品は、ロブ=グリエのそれよりも少ないというのに!!

 映画作家として語られるアラン・ロブ=グリエは、本来ならばキャリアの始点として語られるべき処女脚本作への言及に終始している。「始点で終始している」という現状は、やはり不幸という他ない。マリエンバートに囚われた不幸な映画作家アラン・ロブ=グリエ。その作家的挑戦に満ちた映画群が正当な評価を得る機会は果たしてやってくるのだろうか? 悲しいかな、そうは到底思えないところが、映画作家としてのアラン・ロブ=グリエを如実に物語っているのである。


2008年3月31日号掲載

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