ロブ=グリエに『新しい小説のために』(Pour un nouveau roman, Editions de Minuit, 1963)という評論集がある。

書名から推察されるように、ロブ=グリエが自分(たち)の新しい小説のスタイルを擁護するために書いた折々の文章を集めた書物だ。平岡篤頼による邦訳書(新潮社、1967)には、同書と短編小説集「スナップ・ショット」(In-stantanes, Editions de Minuit, 1962)が併載されている。

いま、「擁護」と書いた。なにから擁護しようというのか。ロブ=グリエによれば、彼の初期の作品『消しゴム』(1953)や『覗く人』(1955)に対して、新聞・ジャーナリズムから「圧倒的な、激越な拒否」があったという。いったい具体的にどのような評価がなされたのか、それ自体興味があるところだが、ここではロブ=グリエの主張をかいつまんで見ておこう。

『新しい小説のために』には、折々の機会に書かれた文章が集められている。そこで一貫して主張されているのは、小説という表現が生きながらえるためには不断に進化する必要があるということだ。これ自体は言ってしまえば変哲もない、むしろとても当然の主張のように見える。しかしそれだけに、ロブ=グリエがわざわざこのように言わねばならなかった状況を考えてみる必要がある。

彼が乗り越えるべき対象として引き合いに出すのは、バルザック(1799-1850)の作品に代表される小説観だ。当世風に言えば、キャラ設定がしっかりした登場人物と、その人物の言動と内心の描写を基盤にして、一貫して無矛盾、かつ起伏ある物語を提示する作品とでもなるだろうか。要するにこうしているいまもなお次々と書かれているごく当たり前の小説のこと。

それにしても、なぜ20世紀も半ばになってもなお、バルザック的な小説観を一種の仮想敵に見立てなければならなかったのだろうか。ことをフランス文学史だけに限っても、そうした小説の枠組みから逸脱した作品はいくらでもあったはずなのに。

例えば、プルースト(1871-1922)の『失われた時を求めて』(1913-1927)は、これといった筋書きもないまま主人公の意識と記憶にあらわれては消える出来事が微に入り細を穿ちながら描写される小説だったし、ジッド(1869-1951)の『贋金つかい』(1926)のように複数の人物の視点からの断章を集めたようなヘンテコな小説もある。シュールレアリスム、不条理文学と、「伝統」を覆し文学を更新する試みはヌーヴォー・ロマン以前にいくらでもあっただろう。

でも、ロブ=グリエは言う。

「物語形式をそのわだちから引きずり出そうとして、三十年以上も前から相ついで行われた数多くの試みも、せいぜいいくつかの孤立した作品を生んだだけだった。そして――くりかえしいわれていることだが――そうした作品はたとえどんなに興味あるものであれ、どれひとつとして、ブルジョア小説の読者数に匹敵するだけの読者の賛同をかち得たことがない。実際、今日通用している唯一の小説概念は、バルザックのいだいていた小説概念である」(「未来の小説への道」、1956、邦訳17ページ)

たしかに、事後になって文学史上に燦然と輝くようになった(文学史に登録された)作品であっても、発表当時からそうした評価を得ていたとは限らない。たしか、プルーストは『失われた時を求めて』の原稿を出版社に断られ続け、最後に自費出版をしたのではなかったか。ジョイスの『ユリシーズ』は何部売れたのだったか。アンドレ・バーナード編著の『まことに残念ですが…… 不朽の名作への「不採用通知」160選』(木原武一監修、中原裕子訳、徳間文庫、2004)を開くと、後に名作と呼ばれるようになるあんな作品やこんな作品が、目利きの編集者たちによってリジェクトされたさいの文面の数々を読むことができる。例えばこれは、プルーストの『スワンの恋』(『失われた時を求めて』第1巻)への言葉。

「ねえ、きみ、わしは首から上が死んじまってるのかもしれんが、いくらない知恵をしぼってみても、ある男が眠りにつく前にいかにして寝返りを打ったかを描くのに、なぜ30ページも必要なのか、さっぱりわからんよ」

そう、その「さっぱりわからん」ことにこそ、当の作家は必要を見出しているのだが、読者の側では物語の筋に関係なさそうな寝返りなんぞは手短かに済ませるか、省略して欲しいとさえ思うかもしれない。

ロブ=グリエもどうやら無理解に苦しんだと見えて、「自分は《一般大衆》のために書いているのだと確信していたので、《難解な》作家とみなされるのがつらかった」(前掲同書、8ページ)と吐露している。もちろん、作家がそう望むからとて、実際に読者がそう読むとは限らない。

では、実際のところロブ=グリエはどのように小説に新たな息吹を吹き込もうとしたのだろうか。つまり、伝統的な小説の枠組みをどのように変えようとしたのだろうか。

『新しい小説のために』のなかで、作家自身、さまざまなことを述べているが、そうした主張の中核にあるのは、おそらくつぎの考えだ。

「世界は意味もなければ不条理でもない。ただたんに、そこに《ある》だけである。なにはともあれ、これこそ、世界がもっているもっともいちじるしい特徴である。そして不意に、この明白な事実が、もはやわれわれの手ではどうすることもできない力で、われわれを打つ」(前掲同書、21ページ)

この、「そこに《ある》だけ」ということが、どれほど自明ではないかということは、哲学の歴史において「ある」ということ(存在論)について流されてきたインクの量にも示されているところ(他方では「そんなのはニセの問題だ」という議論もたくさんなされてきたのだが)。といっても、ロブ=グリエは哲学ではなく、飽くまで小説という表現のなかでこうした関心にそって作品に取り組んだ。

絵の喩えを使って少し補助線を引いてみよう。美術館で一幅の絵画に向き合っているところを想像していただきたい。どんな絵でも構わないけれど、例えばその絵には、牡牛や馬、横たわる兵士や泣き叫ぶ女たちの他、さまざまな事物が描かれているとしよう。それはわかるのだけれど、絵全体が何を描こうとしているのかがわからない。絵の脇に添えられたプレートを読むと、それがピカソによる『ゲルニカ』という作品であり、その絵はスペイン内乱のおり、ドイツ空軍による空襲で一方的に虐殺されたゲルニカの悲劇をモティーフにしているということが判る。

このとき、伝統的な小説とはいわば絵に添えられた説明文のようなものだ。それは、絵を了解可能な一群の意味に置き換える。普通、絵の不可解さに拮抗するほど不可解な解説というものはない。読めば「なるほど、そういう絵なのか」と得心するように書いてある。これに対してロブ=グリエが言わんとするのは、それらしく因果をつけられた条理ある解説(絵画の意味)以前に、絵そのものが目の前に確固としてあって、この絵そのものには意味の条理も不条理もないということである。再び言えば、これは当たり前すぎることかもしれない。

あくまで喩えに過ぎないけれど、ロブ=グリエの小説は、言ってみればこの「一幅の絵がある」ということに向き合って、じっとこの絵そのものを眺め直し、そこから見えてくるものをともかく述べてみようとする。だから、彼の作品にはバルザックの小説にあらわれるような輪郭のくっきりとしたキャラクターは登場しないし、その気になれば短く要約できるようなかたちの物語もない(要約すると意味がなくなってしまう)。

だからそのようなロブ=グリエの小説は、もはや「作家が想定した意図を読者が受け取る」といった図式では楽しむことができない。彼が提供する素材と読み手の記憶との遭遇から、さまざまな問いや解釈や感情が去来するそのさまを味わうことに重点がある。もちろん多かれ少なかれ、あらゆる小説にはどちらの側面も含まれている。 バルザックの『ゴリオ爺さん』を、 作家が思ってもみなかったように読むことは現にいくらでもありうる。しかし、『ゴリオ爺さん』を読んだ読者十人が十人とも異なるあらすじを報告することは考えにくい。これに対して、ロブ=グリエの小説では、「同じ」作品を読む経験が、十人十色の経験をもたらしうるのだ。これはどちらがより優れているか劣っているかという話ではなくて、小説のスタイルや方法が異なればそれを読む愉しみも異なるという話である。

御託はこのくらいにして次回は、ロブ=グリエの小説そのものに向きあってみよう。

2008年3月24日号掲載

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