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失言癖から退陣を余儀なくされる森首相をめぐってだらだらと書き綴ってきたが、もうそろそろ話を終わりたい。少なくとも、森からは離れたい。

どうしても奇妙だと思えるのは「失言」したことではなくて、本当は「そう思っている」ということ自体ではないのか、と思われるのに、「失言謝罪」をすれば、それで政治的には決着を見てしまうのであるらしいことだ。(政治的に、だけでなく、メディアもそれに追従しているように見えることについては後述。)

前々回(3月3日)の日誌には「常識について」という以前に書いたエッセイを引いたが、そこで問題にされていた西村某次官の問題発言について、安宅久彦は2000/2/21号掲載の「内声の政治学」でこう書いている。

辞任した西村某次官の言説。あのように、誰かがマスコミで突出した「失言」を行い、それをもみ消すという操作を繰り返しながら、戦後体制を打破する方向で人々の無意識の世論を誘導していくというやり方は、自民党の中ではすでにオーソドックスな政治手法として確立されている。(「週刊電藝」2000/2/21号掲載)

ついで書いておけば、西村の発言とは、国を守らないというのは妻や恋人が強姦されているのを見ても助けないのと同じだ、国を守るためには核保有でも国会で議論せなアカン、といった週刊プレイボーイ誌での対談での発言だった。

政治家の失言問題は、ここにも見られるようにある種の問題に集中している。それは安宅久彦が書いているところに従えば、「戦後体制を打破する方向」ということになる。そして安宅は、それを自民党の中ではすでに政治手法として確立された無意識の世論の誘導だと書いている。

   
text/キムチ

キ ム チ p r o f i l e

 

 

 

 

多分、ここには、「常識について」で私が書いたこととの間に既に多少の温度差がある。私は、「いったい何が常識なのか」と問うていたのだけれど、安宅氏にとってみれば「戦後体制」が「常識」なのであり、その「タテマエ」に対して、自民党の「ホンネ」を失言という形で浸潤させていくという政治手法があることになるのだろう。安宅氏にとっては図式は明白である。

もう一度整理するなら、自民党はおそらくここでいう「自民党のホンネ」というような一貫した政策を掲げてはいないと思われるのだけれど(政治オンチなので正確なことは分からないので教えてほしいけれども)、それにしても感覚的には多数意見として安宅氏がいうところの「戦後体制を打破する方向」を自民党は持っているように思われる。(ここのところの一連の法制案の成立はそれを表しているものかもしれない。)しかし、マスメディア的には、それを表立って語ることは禁じられている。ここには「戦後」の禁忌(タブー)がある。この禁忌のために、自民党は「ホンネ」と「タテマエ」に分裂し、二重人格に陥っているのだ。

加藤典洋の『敗戦後論』を私はまだ読んでいないけれども、加藤が『日本の無思想』に書いているところを敷衍すれば、「戦後の禁忌」はその「敗戦」によるものであり、「戦後の禁忌」の解除について語ることが「敗戦後論」ということになるのだろう。そして、安宅久彦が同じエッセイの中で引いている高橋哲哉の『戦後責任論』は、その加藤の『敗戦後論』への批判ということになる。

加藤のいうことを解釈すれは、こうなる。日本は先の対戦に「敗戦」し、旧敵国から「戦後体制」を与えられた。この一方的な「戦後体制」は、日本の歴史の中に埋めきれない「切断」を生じさせた。この「切断」がここでいう「戦後の禁忌」である。

この「切断」を加藤は4つ上げている。1つは、天皇のとの関係における切断であり、2つめは憲法との関係における切断であり、3つめは戦争の死者との関係における切断であり、4つめには旧敵国との関係における切断である、と。

戦後と戦前との間にあるこの「切断」について語られないために、「失言謝罪」という奇妙な言説が現れる。タテマエは「戦後体制」である。しかしその「戦後体制」がある「切断」によって成立したものであることを「自民党」に代表させられた勢力も、「マスメディア」に代表させられた勢力も、実はホンネでは了解している。このホンネの共同性が「失言謝罪」という儀式を生み出しているのというのが加藤の主張だ。

少なくともここに、どうしても理解しがたい奇妙な言説が存在していることだけは確かなことだ。

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