名店といわれる店に行き、ガッカリさせられた経験は実のところ意外なほどに多い。実は名店とは名店になっていく過程の味こそが旨いのであって、名店になってしまうと途端に味は落ちるというのが筆者の結論だ。顧客の数が急増することや、店自体が本来の努力を怠り、効率化へとその内容をシフトさせていくためであろう。

 今年('03年)の夏から秋にかけて、筆者の名店リストから消えた店が一軒、候補だったがいきなり初見でアウトだった店が一軒ある。今回はその過去の名店をレポートし、猛省を促したい。

[1] 京都 銀閣寺 ラーメン ますたに

 京都のラーメンを良くも悪くも代表するラーメン店であり、京都に来たらここに行かなければ意味がないとまで言われる名店中の名店。ここで修行したお弟子さんが暖簾分されたしたお店も数軒存在する。取材拒否の店としても有名で、全国区の情報誌でのランキングは低い。実際、京都の地元タウン誌くらいしか情報が載らないにもかかわらず、ここまでの知名度を獲得したのは、イチにもニにも旨かったからに他ならない。東京 銀座の一等地に開店したことにも驚かされた。

 最寄りのバス停が銀閣寺道ということもあり、比較的アクセスしやすい。京都大学から近く、ロケーションも良い。客層としてはやはり、京大の学生が多いようだ。店の前には琵琶湖疎水が流れており、『善の研究』で有名な西田幾多郎 京都大学教授が散歩しながら思索にふけったという“哲学の道”もある。この疎水にはやたらとデカイ鯉がいる(笑) 疎水の両岸には柳の木が生えているのだが、これが曲者で店の場所がわかっていないと、おそらく見落とすだろう。京都ラーメンの総本山にしてはなんとも小さくお粗末な建物〜ほったて小屋といってもいい〜なのだ。この店を見れば、なるほど取材拒否の理由も何となく分かるような気がしてくる。

 食事をする場合、筆者は店の雰囲気や清潔感等々を非常に重視する。食事の場所が汚いなんていうのは、初めから論外なのだ。従って筆者に限って言えば“汚い店だけど旨い” ということはありえない。その意味では、ここは汚いと言うほどではないが、決して清潔な感じもない、言わば可もなく不可もなくといったところであろうか。たぶん、トイレに行ったら多くのユーザーは驚かれると思う。

 基本的に並ばないと入れない。ただ、メニューが少なく、調理のスピードも早いので、後は顧客の意識次第であり、その辺り、この店に関して言えば、比較的わきまえている顧客が多く、回転率はかなり良い。

 ここが過去形で“旨かった”となってしまったのは、正に痛恨の思いがある。とんこつラーメンでは、スープの獣臭が深い味わいになっている場合と食欲を一気に萎えさせる場合がある。例えば当然のように閉店した神戸 センタープラザ地下の『三馬力』などは、周囲の店から苦情が出るほどのひどい獣臭で、筆者も出来るだけ近寄らないようにしていたくらい食事をする場所という概念からはかけ離れた汚店であった。「ますたに」は「三馬力」ほどのひどさではないにしろ、ラーメンの中に従来、感じられなかった獣臭が悪い意味で残っている。

 また、麺の湯切りの甘さにより、麺周辺のスープが緩むというミスを連発(筆者が行った最後の2回とも連続!)している。実は獣臭よりもこの湯切りの甘さの方がラーメンにとっては致命的である。ラーメンの麺は茹でることによりヌメリを生ずるが、このヌメリを如何に処理するか? というノウハウこそが、プロとアマの差であり、ラーメンを熱いままヌメリなく提供することこそがプロのプロたる存在理由だと筆者は思っている。

 簡単に言って、獣臭の処理が不十分で、かつ麺のヌメリが十分にとれていないラーメンはズバリ、不味いのだ。過去「ますたに」のラーメンが如何に旨かったか? ということには枚挙に暇がない。筆者にとってもかけがえのないラーメン店であった。しかし、もはや名声や薀蓄や歴史に関係なく、実際に不味いのだからしょうがない。

 結局、キャパシティ オーヴァーのお客さんの来店にも問題があるが、実は銀座に支店を出したことと大きな関係があるのではないか? と筆者はにらんでいる。つまり、ここで味を作ってきた職人が東京に流出したのではないのか? ということだ。これは単なる想像でしかないが…

[2] 京都 一乗寺 カレー ガラムマサラ

 タウン誌の常連的な店。インターネットで検索すると絶賛の嵐にみまわれるので要注意。インド、インドネシア、タイといったアジア系のカレーを各種のスパイスを調合して作る特製カレーは熱烈なリピーターを生んでいる。わざわざ、新幹線に乗ってまで、食べに来る人が多い(店員談)というのも特徴で、店員は必どこから来たのか確かめてから、リピーター用のスタンプ カードを手渡す。ここは京都でもかなり辺鄙な場所であり、アクセスしづらいことでは屈指の地域になる。市バス5系統の北端は京都造形芸大前であり、市バスの周回サークルからも外れてしまうので、無自覚にぼんやり乗り続けていると乗車賃を2回も払わなければならないから大慌てということになる(苦笑) 京都造形芸大前で降りても距離は知れているので、ここから徒歩でもよい。

 兎に角、不愉快な店である。創業者である腰が90度に曲がった名物ババアは基本的に接客業の何たるかについて、生涯一度も深く考えたことがないのではないか? 一般的に店主のわがままが許されるのは、そこでふるまわれるメニューが圧倒的に旨い場合だけである。旨いということは、飲食店にとって絶対的な価値であり、それさえあれば大抵のことは許容される。そして、もしかすると過去のある一点においては、この店もこの条件をクリアしていたのかもしれない。

 しかし、ハッキリ言って現在のこの店のメニューのどこにそこまでの力技があるというのか? 筆者には全く理解できなかった。筆者はこの店の一番人気であるキーマカレー(何とカレーのくせに価格は犯罪的な1000円超!)、同行者はあまりの値段から格落ちのビーフカレー(これまた何と800円!)を注文したが、これがなんとも箸にも棒にも架からないのだ。筆者は大阪でも神戸でも、ここよりも安くて旨い店を何件も即座に列挙することが出来る。

 まず、カレーのくせに遅い。カレーは作り置きが基本であって、注文してから待たなくても良いというのが大きなセールス ポイントのはずだ。ところが、この店、なぜか出てくるまでが異常に遅い。

 次に、カレーのくせにヌルイ。分厚く小さな器に非常に控えめに盛られたルーも強く押さえつけられ薄く広がって皿に張りついているご飯もヌルイ。ババアが得意になって説明していた半熟タマゴの付合せもヌルサを倍化させている。カレーとして最低の条件は熱さだと思うのだが、それすらクリア出来ていない。辛さと熱さは比例する。そしてキーマカレーとは辛さを堪能するためのカレーなのである。

 一方、ビーフカレーに関しては、同行者談“カレーとは名ばかりの、ビーフの濃厚ソース煮込みの味”。20日間も煮込んだという曰く付きだが、それが見事なまでに味に還元されていない。煮込むことによって引き起こされる、様々な弊害の方が全面にフィーチュアリングされているのだ。煮込みすぎてカレーの風味が全部蒸発したんじゃないのか。最悪である…

 では、もし仮にこのカレーが熱かったとしたらどうか? 筆者としてはやはり×である。もはや名声や薀蓄や歴史に関係なく、基本的に不味いのだからしょうがない。存在するのは過去の栄光のみで、ここに来ている顧客もババアも壮大な共同幻想を見ているのではないか? という気すらしてきた。なぜ、誰も本当のことを言おうとしないのか???

 さらにこの店の致命的な問題は、その雰囲気の悪さだ。

 ババアの無礼極まりない接客態度は、ババアがかなりな高齢者〜たいていの年寄りは独善的、説明的でくどく、同じことを何度も言う〜であることを差し引いても許しがたいものがある。一見さんが多い関係もあってか、“おまえらが2度と来なくても、こっちは別に困らないんだよぉ”といった傲岸不遜さが態度の端々からにじみ出ているのである。顧客がひっきりなしに来るものだから、こういう出鱈目な接客態度でも問題ないと多寡をくくっているのだろう。

 また、腰が90度に曲がっているために、顔の位置が異常に低く、しかもその姿勢でちょこまか動き回るので、机の角に顔面をぶつけはしないかと、いつも見張っていないと気が気でない。だからモチロン、注文等々の会話も異常にしづらいのだ。

 そしておそらくはババアの娘であろうチーママもババアに対してひっきりなしに罵詈雑言を浴びせ続けている。それは親子と考えない以外理解不能なくらいの罵詈雑言なのだ。おそらく娘婿であろうコックのオヤジだけが常に申し訳なさそうに接客をこなしている。

 店内は常時このババアを中心とした店員の支配下にあり、顧客はあくまでも食べさせてもらっているというポジショニングである。それは、同じグループ内では同じメニューを注文させない〜同じメニューを注文しようとすると必ず余計なアドヴァイスが入って、顧客の注文が誘導される〜というオーダーのとり方、食べ方をいちいちうるさく説明するお節介な説明タイムに如実に現れている。

 この説明タイム、単にババアが自慢話を繰り返すだけの代物で実に鬱陶しい。しかも毎回、毎回同じことを話しているのであろう。ババア自身もこの説明に飽き飽きしているのは明白で、説明そのものはただの作業になっていて実に投げやり、かつ早口でぞんざいである。しかも、説明タイムよりもかなり早い段階で料理が並んでいても、この説明を聞かなければ手をつけてはいけないというワケの分からない不文律がある。こうしてカレーのヌルサはさらに加速されていくのだ。

 分厚く小さな器に非常に控えめに盛られたルーは、一度にドバーッ!! とかけてはいけないらしく、“少しずつご飯と混ぜながら食べてください”と厳しく注意されるが、カレーは大衆料理の王様なのだから、どういうふうに食べようが、顧客の自由である。また、カレーという料理にはそれだけのキャパシティがある。とすれば、ここでふるまわていれる料理はもはや、カレーですらないのかもしれない… 

 ただ、ダンナに先立たれたババアにとって、この店は正にババア自身なのだろう。ババアが接客に出ること自体、店にとっては大変なマイナスだと思われるが、逆にババアが店に出るのを禁ずることは、ババアの生きがいを奪うことになりかねない。その意味では、こういうババアの相手をしてやるのも、人助けと思って割り切るしかない。いろいろな意味で寛大な人向きの店である。

そのニへ

2003年12月15日号掲載
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[猟ぐる日記]
“名店に旨いものなし”
そのイチ

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〜おいしそうな料理や食事のシーンが出てくる作品 
  うへ!〜

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『初恋の来た道』(中国 00) 監督:チャン・イーモウ
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