電車に乗ってうとうとしていると、足元に2歳くらいの子供がまとわりついて来た。私は、半分眠っていたので何が起きたのかわからなくて、変な酔っ払いが絡んできたのかと思って叫び声をあげて子供を蹴り上げそうになった。実際には、私は少し小さめの声を上げて驚いただけだったのだが。子供は、私を母親か何かと間違えたのだろうかと思ったけど、母親を探す様子も不安そうな様子も無く、まっすぐに私の顔を見上げていた。

「どうしたの? 何かご用?」

 私は優しい声と顔を作って子供に話しかけた。子供は、黙ったまま何も言わずに私のほうを嬉しそうに見つめてくる。私は、少し困ってしまって、子供のほうを見つめ返した。子供はにこにこ笑って、私の顔から目をそらし、私の持っている緑色のハンドバッグをじっと見つめた。私は、鞄の中にフルーツのど飴が入っていたのを思い出して、それを子供に渡そうとした。

「これあげるよ。はい」

子供は、首を横に振って、少しいらいらした表情をした。

「ねえ、お父さんかお母さんは? いないの?」

 子供は黙ったまま何も言わない。まだしゃべれないのだろうか。私は本当に困ってしまったので周りを見渡した。周りの人の何人かも、少し困ったようにこっちを見ていたけど、どうしたらいいのか誰にもわからないみたいだった。近くには、この子を探している人はいないらしい。

 電車が止まって、私のすぐ後ろのドアが開いた。子供が、にこっとかわいく笑ったかと思うと、急にさっと走って電車を駆け下りていった。私はびっくりして、とっさに立ち上がって一緒に電車を降りてしまった。すぐ横でピイ、と笛の音がして、私が子供を目で追っている間に電車はドアを閉めて走っていってしまった。

 何だかあまりに突然の事に驚いて、私はすこしのあいだ呆然と電車を見送った。子供が、きゃたきゃたと笑いながら、改札へ続く階段に向かってとことこ走り出した。両親も知り合いも、誰も子供を捜しに来ない。もしかして、この子は迷子なのだろうか。私は今、一体どうすればいいんだろう。この子をどこかに預けたりとかした方が良いのだろうか。

 階段へ向かってよたよた走る子供を、何人もの人が避けていく。その中には私を睨む人までいて、私は母親でもないのに子供を追いかけなければならないような、理不尽な雰囲気が漂いはじめた。

「待って、ちょっと」

 私はあきらめて、子供を追いかけて両肩をつかんだ。子供は無邪気に笑い声を上げて、くるっとこっちを振り向いた。

「あなたの、お名前は?」

 子供はにこにこと笑ったまま、何の返事も返してこない。

「お父さんか、おかあさんは?」

 子供は、ただじっと私を見上げている。

「じゃあ、お姉さんと一緒に駅員さんの所に行こうね、そうしたらおうち帰れるよ」

 子供は、両腕を上げて私を見上げた。まさか、だっこしてー的な事を言っているのだろうか。

「えー、ちょっと、勘弁してよー…」

 それでも、またしても周りの人が邪魔そうな顔で私を睨み始めたので、私は仕方なく子供を抱き上げて、階段を下りるはめになった。重い…。子供は満足そうに、にこにこと笑った。子供は、やわらかくて、甘いいい匂いがする。何だろう、ベビーオイルの匂い?何だか、おいしそうな匂い。

「ねえ、あんた名前何ていうの?」

 子供はこっちを見て、履いている靴のかかとをゆびさした。

「うー」

「やっと喋ったね、よかったよかった」

 靴には、イシイ タイチ と書いてあった。

「タイチくんか。へぇ、あんた男の子なんだねー。髪が長いから、女の子かと思ってたよ」

 私は階段を下りきって、改札へ向かった。多分、駅員さんに預ければ何とかなるだろう。私はタイチを抱いたまま改札の横の駅員さんに話しかけた。

「すみません」

「はい何でしょう?」

「あの、この子迷子みたいなんですけど…」

「あー、それはこちらでは対処しかねますので、改札出て、このまま真っ直ぐ行ったところに階段があります。そこを上がっていただくとすぐ右に交番がありますのでそちらに行っていただけますか?」

「え?」

「ここ真っ直ぐ行って階段上がったところに交番ありますので、そちらへ行ってください」

「あ、そうですか、わかりました」

 何も、あんなに早口で言わなくてもいいのに、などと思いながら、私は改札を出て交番へ向かった。タイチはキャタキャタ笑いながら、私の腕の中で落ち着いている。私は、なぜだか少し後ろめたい気持ちになりながら、階段を上がって交番へ向かった。

2007年1月22日号掲載
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