交番には誰もいなかった。私はタイチを抱いたまま、タバコの匂いが充満している、古い交番の中に入った。

「すみません」

 誰も出てこない。私はタイチを下ろし、交番の中に置いてある小さな椅子に座った。

「誰か戻ってくるまでここで待ってようか」

 タイチはにこにこ笑ったまま、嬉しそうに私を見上げていた。私はタイチを隣の椅子に乗せてから、ため息をついてジャケットの袖をまくって時計を見た。 8時17分。今日は隆志が泊まりに来るのに、まだ帰れないのか。そういえば、隆志から何か連絡があったかもしれない。今日は何時に家に来るのだろう。私は、携帯を取り出すためにバッグのファスナーを開けた。

   ジリリリリリリリリ  ジリリリリリリリリリ

 突然目の前の台の上に置いてある、黒電話が鳴り始めた。私は、驚いたはずみでバッグを床に落としてしまった。開いていたポーチから化粧道具が散らばって、財布や携帯と一緒に床一面に広がった。

「あー、もう」

 私は慌てて散らばったものをバッグに投げ入れ、中身を確認してからまた椅子に座った。電話は、まだ鳴り止まない。私は心底うんざりして天井を見上げた。

「うー」

 私は、何だかものすごく面倒になっていたので、タイチが何か言ったのを軽く無視した。

「うー、うううー」

 タイチが、私のスカートのすそを引っ張った。

「何? どうしたの?」

 私は、イライラを前面に出してタイチを見た。タイチは、私が今日古着屋さんで見つけた、内臓の石を持っていた。私は、なぜかものすごい恐怖を感じた。タイチは、嬉しそうに私の顔を見上げている。

「…拾ってくれたの? ありがとう」

 私はそう言ってタイチから石を受け取ろうとした。それでも、タイチは私に石を渡さずに、鳴り止まない電話を指差した。

「うーうううー、うーうー」

「え、何?」

「ううーうううううー」

「電話に、出ろと?」

 タイチは、嬉しそうにキャタキャタ笑った。私は、椅子から立ち上がって電話に近付いた。確かに、このままずっと鳴られているのもうるさくて困る。でも、勝手に出ていいものなのだろうか。電話のすぐ横に、[誰もいないときはここに電話してください]と書かれたプラスチックのプレートがあり、その横にはメモと、ペン立てがあった。電話はしつこくジリリと鳴り続けていて、私は少しめまいがしそうになった。

「もう、何で私がこんな目に会わなきゃいけないんだろう…」

 私は、迷いながらも受話器を取り、もしもし、と言った。

2007年1月29日号掲載
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