うつせみ

 もう、前回から2週間が経ってしまいました。実に早いものです。この間、数本を劇場観賞しましたが、そのほとんどがこの原稿をUPする段階で公開が終了しているという有様。これでは新作おすすめ映画紹介としての役割が……と、少々溜息混じりになってしまったわけですが、ここで今回少し考え方を変えてみることにしました。

「おすすめする作品を広く劇場鑑賞して頂ければいいな、という願望はあるけれど、映画(特に単館作品)の公開には地域格差がすこぶる大きい。せっかく見ようと思っても、公開されない地域も多く、公開が既に終了している場合もある。けれど、その作品にDVDなどといった2次流通で触れることはできるわけだし、それが後にその監督や出演俳優の新作を劇場観賞する原動力になるかもしれない」と思うようにしたわけです。

 さて、今回、ご紹介するのは、韓国映画の『うつせみ』という作品です。

 東京では3月4日に公開され、既に公開終了している作品ですが、私の住む大阪ではGW明けの公開になってしまいました。しかも2週間限定モーニングショーのみという、些か限定的に過ぎる上映形態……

 とはいえ、何としても観賞したかった作品ですので、予定をやりくりして駆けつけたわけですが、これが期待に違わぬ、いや、それ以上に素晴らしい大傑作!! 目下のところ、本年度の個人的ベストワン作品と言える作品でありました。そのため、どうしてもご紹介したくなったという次第。

【住人の留守宅に忍び込んでは、その家でシャワーを浴び、食事をし、壊れている物があれば修理までしてしまう風変わりな青年:テソク。窃盗を行うでもなく、ただただ留守宅を見つけてはそこに侵入し、その家を楽しむ。そんな放浪生活を送っている彼が、ある日、いつものようにとある豪邸に侵入。しかし、そこは空家ではなく、独占欲の強い夫に日常的に暴力を振るわれながら、半監禁状態にある人妻:ソナの姿が。一旦は逃げるようにその豪邸を飛び出したテソクだが、やがて心を決め、再度その家に赴いた彼は、ソナを連れ出し、当て所のない逃避行へ。2人で留守宅を転々とするようになり、その内、抜け殻であったようなソナの表情にも光が戻ってきたのだが……】

というストーリー。

 監督は、新作を発表する度にセンセーションを巻き起こすキム・ギドク。韓国映画界の鬼才・異才・寵児、時には異端児とまで形容される独自の世界観を持った人で、現在、オーストリア出身のミヒャエル・ハネケ(『隠された記憶』『ピアニスト』など)や、フランスのフランソワ・オゾン(『ぼくを葬る』『まぼろし』など)と並んで、私が最も注目している監督の一人です。

 今回は、『うつせみ』の内容に関して深く言及することはせずに、キム・ギドクという監督をこそ、詳しくご紹介したいと思います。『うつせみ』は幽玄の世界にも通じる超自然的な展開を孕んだ、独特で新鮮な美しさを湛えた崇高な恋愛劇だと言うに留めておきましょう。本年度のアジア映画中、最もスリリングな作品であること請け合いです。

 さて、日本では、これまでにキム・ギドクの作品は、本作を含めて8本紹介されています。(7本が劇場公開、1本がソフトリリースのみ)

 初公開は2001年に公開された『魚と寝る女』(2000年製作:長編第4作目)。以降、現在までに新作・旧作を織り交ぜた格好で『悪い女 青い門』『受取人不明』『悪い男』『コースト・ガード』『春夏秋冬そして春』『サマリア』、そして本作が相次いで公開されています。そのどれもが、キム・ギドクにしか撮る事の出来ない独創性に富んだものであり、そして一見の価値を充分に有した強度を湛えている事に驚きます。当初は <ヨーロッパの北野武> と表現されることの多かったキム・ギドクですが、現在ではその形容からも脱し、独立した映画作家として認知されています。

 キム・ギドクの作品は、そのどれもが様々な「痛み」を孕んでおり、どれも決して甘くない。時には露悪的とさえ言える展開をみせ、韓流ブームの主流を担う甘い作品群に背を向けているかのような唯我独尊的感触を持っています。ここで重要なのは、非常に貧しい家に生まれた彼が、青年期に単身でフランス留学を経験していること。絵画を学ぶための留学であったとのことですが、ここで彼が、異国の文化に触れ、大きな意識的変容を遂げたことは想像に難くありません。宗教観・人生観・死生観などが、これまでの韓国人監督の誰とも異なる様相を呈しており、その唯一無二の作風は<ギドク節>と表現されます。作品毎に、様々な顔を覗かせながら、人目で彼の作品だとわかる独特な空気に触れるたび、正に心酔と呼ぶにふさわしい酩酊状態を感じて、たまらなくなってしまうのです。

 ヨーロッパでの高評価を受け、日本でも彼の全貌がようやく明るみに出ようとしてきました。この夏には、処女作の『鰐 ワニ』と、2005年製作の新作である『弓』が公開されると聞きます。最新作の『Time タイム』も既に完成し、公開を待つばかりという状況。これから、ますますキム・ギドクの評価が高まっていく事は間違いありません。

 まこと、キム・ギドクは恐ろしい。

 その豊かな才能に畏怖すら抱いてしまいます。

 現在進行形の映画作家を追いかけるというのも、映画鑑賞の愉しみの一つと言えるのではないでしょうか? 時に、DVDなどを利用して、注目されている気鋭作家の存在に触れ、それを契機に、その作家の新たな劇場公開作を観賞するため、映画館に足を運ぶことなれば、それも有意義なことではないかと思うのです。

 その大いなる才能に触れること、その存在を知ることから始めてみませんか?

 そして、またキム・ギドクの新作を待ち、大いなる期待を胸に、共に劇場に足を運ぼうではありませんか。

 また、映画館でお逢いしましょう!!

うつせみ

2004/韓国/日本/88分/配給 : ハピネット・ピクチャーズ、角川ヘラルド映画
監督・製作・脚本:キム・ギドク 撮影:チャン・ソンベク 音楽:スルヴィアン 出演:イ・スンヨン ジェヒ クォン・ヒョコ

2006年5月22日号掲載

< ヨコハマメリー(2006/6/5) | ロンゲスト・ヤード(2006/5/8)>

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