ヨコハマメリー

 本日、この原稿の締め切りギリギリに、念願の『ヨコハマメリー』を観賞してきました。実はこの作品、「気に入ったらこのコラムでご紹介しよう!」と事前に決めていたのです。私の住む大阪では、朝・晩それぞれ1回という変則上映で、なかなか時間が合わずにいたのですが、滑り込み観賞。こうしてご紹介するということは、作品そのものにも満足したということですから、幸せな映画体験であったわけです。まず、そのことを喜びたいなあと。

【顔を真っ白に塗り、貴族のようなドレスに身を包んだ老婆。横浜で50年間もの間、横浜の街角に立ちつづけたその女性は、いつしか「ハマのメリーさん」と呼ばれるようになっていた。現役娼婦として長らく横浜で生き、その強烈な姿と気品溢れる佇まいで、自己の存在をイコンとして人々の胸に刻み込んできた。そんなメリーさんが、横浜から突然姿を消したのが1995年12月。もう、横浜の街に彼女の姿を認めることは出来ない。しかし、彼女の姿が見かけられなくなっても、彼女の幻影は横浜の街に生き続けている。様々な噂が交錯し、メリーさんの実像は、よりぼやけ、都市伝説=フォクロア的存在となって、今も尚語り継がれているのだ。そんなメリーさんを巡って、30歳の若き新人監督中村高寛が当時の横浜やメリーさんを知る人々に迫り、メリーさんの実像を追う……】

 そう。本作はドキュメンタリー作品であります。

 私は、「ハマのメリーさん」をかすかな噂でしか知りません。いくつかの書籍でその存在を認知していただけに過ぎないのです。しかし、横浜に住む人々は、相当若い人でも彼女のことを知っているようで、私の知人にも実際に彼女を目にしたという人も少なからずいらっしゃいます。約10年前までは、実際に横浜の街でその姿を目撃されていたのですから、全く不思議なことではないのですが、私は伝え聞くメリーさんの姿以上に、空白の10年間によって一人歩きを始めた幻想としての彼女に大きな興味を抱いたのです。

 本作の存在を私が知ったのは今年の3月頃。東京とご当地である横浜での公開のみが決定していて、大阪での公開は未定となっていて、本作に強い関心を抱いた私は、本作を上映するにうってつけと思われる劇場数館に電話をかけ、上映予定があるのか問い合わせたりもしたほどでした。結果、テアトル梅田という劇場で、5月下旬から、先述したような変則公開がなされることを知り、大変心待ちにしていたものです。 東京・横浜では4月15日に公開され、大ヒット。特に、ご当地である横浜では連日整理券が発行されるという驚異的ヒットになっていると聞きます。嫌が応にも期待は高まり、一刻も早く見たいという衝動と戦いながら、観賞の機会を伺い、ようやく、その願いが叶ったというわけです。

 本作を実際に観賞してみると、本作が「メリーさんの実像を直接的に追いかける作品」ではなく、「メリーさんの周辺人物に取材し、間接的に彼女の実像を炙り出していく作品」であることがわかります。当時の横浜やメリーさんを知る人々にインタビューを重ねていくというスタイル。

 ですから、本作を観賞し終わっても、「メリーさんとは何者なのか?」「どこからやってきて、どうしてああいう奇矯な出で立ちをしていたのか?」といった事はほとんど判然としないのです。しかし、そのことを不満に感じることはなく、逆に大変興味を刺激されたものです。末期癌に冒されたシャンソン歌手で、晩年のメリーさんの数少ない友人の一人でもあった永登元次郎や、メリーさんをモデルにした一人芝居で有名な女優の五大路子、映画プロデューサーの杉山義法、かつてメリーさんのドキュメンタリー映画製作を志し頓挫した清水節子、風俗ルポライターの大家である広岡敬一、作家の団鬼六・山崎洋子、暗黒舞踊家の 大野慶人といった人物の証言を通してメリーさんの周辺を掘り下げていくのが本作。横浜の名物として偏愛の対象として愛されたメリーさんと、娼婦という職業やその強烈な出で立ちに起因する偏見の対象として嫌悪されたメリーさん。正に、明と暗と言えるでしょう。その掘り下げ作業によって浮かび上がってくるのは、戦後横浜の歴史に他なりません。

 本作は、メリーさんを縦糸、その周辺人物による証言を横糸として編みこまれた <戦後横浜> という魅力的な時代史であるのです。街を、時代を生きてきた人々を活写した人間ドキュメンタリーの魅力が本作には凝縮されているように思えて、まさしく収穫の一作でありました。

 本作には、 メリーさん以外に、 特に大きなスポットを当てられる人物がもう一人存在します。先に挙げた永登元次郎がその人。聞けば、本作は当初『LIFE−白い娼婦メリーさん−』というタイトルで一旦完成し、試写も行われたそうです。それを一旦解体し追加撮影を行い、現在ある『ヨコハマメリー』となったそうですが、『LIFE〜』では本作以上に永登元次郎に比重が置かれた作りとなっていたのだとか。終盤、その彼が、末期癌と戦いながら、(友人としてこよなく愛する)メリーさんを追いかけていきます。

 老人ホームの慰問として、『マイ・ウェイ』を熱唱する彼の姿と、その歌詞に込められた思いに、メリーさんの面影がおぼろげに浮かび上がる中、私は「でも、これくらいじゃ感動はできない。いい映画ではあるけれど、作品の完成度や強度にはいくばくかの物足りなさを感じるなあ……」と意地悪い思いを抱いていたものです。しかし、本作は最後の最後で奇蹟のような空間を我々観客に呈示してくれるのでした。カメラがステージで歌う永登元次郎から、客席にパンし、やがて止まる。その瞬間、我ながら驚いてしまうほど、反射的なスピードで涙が溢れてしまったのでした。「やられたぁ!!」と。まさに「やられた!!」という衝撃、そして深い感動。

 いつまでも大事にしたい宝物のような作品となりました。

 唯一、残念だったのは、私がハマっ子ではないということ。そして、本作を観賞したのが大阪の劇場であったということ。本作をご当地映画として観賞できるハマっ子の方々を心底羨ましく思ったものでした。(これは、昨年、音楽ドキュメンタリーであり、同時に優れた横浜戦後史映画でもあった『ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム』を観賞した際にも思ったことです) 横浜で見る本作というのは、大阪で見る本作とはまた違って、独特の熱気に溢れた物であるのでしょう。きっと、そこには<ご当地ならではの映画体験>という大きな愉悦があり、きっと一味も二味も違うものなのだろうなと思うのです。<ご当地映画を劇場で見る愉しみ>というのも、ならではのものだと思うのです。機会があれば、横浜で本作を観賞してみたいものだという強い欲求を感じつつ、本作をおすすめします。

 また、映画館でお逢いしましょう!!

ヨコハマメリー

2005/日本/92分/配給:ナインエンタテインメント、配給協力・宣伝:アルゴ・ピクチャーズ
監督:中村高寛 出演もしくは声の出演 永登元次郎 、五大路子 、杉山義法 、清水節子 、広岡敬一

2006年6月5日号掲載

< 雪に願うこと(2006/6/19) | うつせみ(2006/5/22)>

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