銀幕ナビゲーション-喜多匡希

空想の森

【 土のついたままのジャガイモ
滋味に富んだ深みある共生のドキュメンタリー 】 あとで読む

空想の森

 1996年。北海道のほぼ中央に位置する新得町・新内で <SHINTOKU 空想の森映画祭> という小さな映画祭が産声を上げた。そこで田代陽子という一人の女性が、初めてドキュメンタリー映画と出会い、映画製作の道へ…… それから12年経った今年、田代陽子は処女作『空想の森』を完成させ、遂に念願の監督デビューを果たした。撮影開始から6年。2年の撮影中断を挟みながらも、完成を見た本作は、手垢にまみれていない素朴な味わいの秀作である。

 この度、本作の大阪公開(11/22〜、第七藝術劇場)を控え、田代監督に1時間に渡ってお話を伺った。(尚、『銀幕ナビゲーション』連載開始以来、初の単独インタビューである。)

空想の森
©2008空想の森上映委員会

今回が初監督作品ですが、元々映画好きだったわけではないそうですね?

田代  そうなんです。そもそも、映画なんて……「映画なんて」なんて言っちゃうといけないのかも知れませんけど、映画なんて、と思ってました。そんなに重要なものじゃない、って。映画館で映画を観るなんて、それこそ一年に一回あるかないか、その程度で。まったく関心がなかったですからね。

それが、1996年に北海道の新得町で開かれた <第1回 SHINTOKU空想の森映画祭> で、佐藤真監督(故人)のドキュメンタリー映画『阿賀に生きる』(1992)に出会って、本作『空想の森』を撮る大きなきっかけになったと。

田代  第1回の空想の森映画祭に参加して、そこで初めてドキュメンタリー映画というものを観たんです。

初めて?

空想の森
©2008空想の森上映委員会

田代  ええ。もちろん、テレビのドキュメンタリー作品なんかは観たことありましたけど、(劇場用)映画は初めて。衝撃的な出会いでした。そして、これも初めてなんですけど、その時、『阿賀に生きる』のカメラマンである小林茂さんが映画のフィルムに触らせてくれたんです。「あ、こんなに小さいんだ!」って。1コマ1コマが本当に小さくて。フィルムを窓の光にかざしてみると、その小さい中に今見たばかりの画が確かにあって。この時、目には見えないけれど、そこに確かにあった <人の熱> に触れたように思ったんですよ。これがドキュメンタリー映画作家の情熱なんだと。その情熱がスクリーンに映し出された作品として観客に伝わっている。そこで「映画は人と人とを結びつけるものなんだ」と感じたたんです。それから幾つか好きな作品に出会いました。『100人の子供たちが列車を待っている』(1988・チリ イグナシオ・アグエロ監督)や『ロシアン・エレジー』(1993・露 アレクサンドル・ソク―ロフ監督)、『黒い収穫』(1992・豪 ボブ・コノリー監督)などが心に残っていますね。

<空想の森映画祭> は本当に小さな映画祭ですよね。廃校になった小学校を利用して開催していますが、なんだか年に一度の村祭りのような雰囲気です。小学校の赤い屋根がなんだか可愛いらしくて、トレードマークになっていますね。その中で企画者も参加者も一丸となってお祭りをしているという。<祝祭> というイメージを抱きました。そんな雰囲気も、本作を撮るきっかけになりましたか?

田代  そうですね。<空想の森映画祭> は、新得を拠点にドキュメンタリー映画を撮っていこうとする藤本幸久監督(近作に『アメリカばんざい 〜crazy as usual〜』(2008)、『Marines Go Home 辺野古・梅香里・矢臼別』(2005)がある)と地元の農家の人々が中心になって運営している小さな小さな映画祭です。でも、パワーがあるというか、大人たちが本気で楽しんでいるんですよ。

空想の森
©2008空想の森上映委員会

大人が <本気で楽しむ> <真剣に遊ぶ> というのはなかなか難しいですもんね。とても有意義なことなんですけど、パワーがないとダラダラとした遊びになっちゃいますから。

田代  そうそう。そうですよね。けれど <空想の森映画祭> は、そのパワーがあるんです。楽しみながら準備して、期間中も思い切り楽しむ。心を解放して全身で楽しむ空間。その熱に触れて、本当に楽しかったし、面白かったし。

有名な大道芸人のギリヤーク尼ヶ崎さんが出てきて驚きました。

田代  ギリヤーク尼ヶ崎さんは毎年参加されてますよ。あと、あがた森魚さんも。

1996年にそういったきっかけに触れて、以後、藤本幸久監督の下で映画作りに参加しますね。

田代  『森と水のゆめ』(1998)で助監督を、『闇を掘る』(2001)では編集をして、同時に映画祭スタッフとしても毎年参加させてもらいました。その中で新得の人々に出会って行ったんです。

空想の森
©2008空想の森上映委員会

タイトルから、てっきり <空想の森映画祭> に焦点を当てた作品だと思い込んでいましたけど、いざ鑑賞してみると違いましたね。

田代   <空想の森映画祭> を御存知の方からは、そう言われます。映画祭についての映画だと。皆さん、最初はそう思っているみたいですね。

映画祭の模様も組み込まれていますが、それがメインではなくて、 <人間> を描いた作品に仕上がっています。土地や季節といった風土と共に生きる人々の営みがメインですね。言わば <共生のドキュメンタリー>。田代監督に多大なきっかけを与えた作品が『阿賀に生きる』だと知って大いに頷くところです。

田代  その通りです。やっぱり人間ですね。あと野菜ですね。新得の人たちが作る野菜を初めて食べた時の驚き! すっごく美味しくて、ビックリして。今までスーパーで買って食べてきた野菜とは全然違うんですよ。大根も、白菜も「今まで食べてきたのは何だったんだろう?」って思うくらい、本当に美味しいの! その時「この野菜を作っている人たちってどんな人たちなんだろう」って。その興味も大きかったですね。

共働学舎という施設が出てきますね。心や体に障がいを持つ人たちや社会に馴染めない人たちが共に生きていける場所を作ろうということで、1978年に立ち上げたとか。現在、全国に6ヶ所あるそうですが、この作品で初めて知りました。チーズを作ったり、野菜を育てたりしながら、50人ほどが自給自足の共働生活を行っているとか。この施設の存在も、本作にとって大きかったのでしょうか?

田代  いえ。それは違いますね。確かに共働学舎のチーズ作りや野菜作りも撮りましたし、完成した作品にも盛り込まれていますが、私としては、そこで暮らしている聡美さん。山田聡美さんね。彼女を撮りたかったの。あと、共働学舎のメンバーじゃない人で、宮下さん夫婦。この人たちに個人的な魅力を感じて「撮りたい!」って思ったんです。

空想の森
©2008空想の森上映委員会

山田聡美さんは大阪府出身で御主人の憲一さんは神奈川県出身ですよね。宮下さん夫婦だと、御主人の喜夫さんが京都府出身で、奥様の文代さんが兵庫県出身とか。それが、現在では北海道のほぼど真ん中の新得町で、共働学舎に入ったり、単独で入植してチーズ作りや野菜作りをしている。ホント、ド田舎ですよね。何もない。

田代  ホント、何もないですよ。広大な土地ですけど、家が多いわけでもないですし。そしてとても保守的な町なんです。

そこに突然飛び込むわけでしょう。それは例えば、最近の癒しブームだとかスローライフ・ブームの一環として「数日間田舎暮らしを満喫しよう!」などというのとは訳が違う。働き盛りの頃に、仕事を辞め、骨をうずめる気持ちで、はるばる新得町に移住されたと。宮下さんも最初は大変な苦労をされたそうですね。野菜を売りにいってもお金にならなかったり…… 田代監督も、実際に新得で生活して彼らに寄り添っての撮影だったそうですが、お生まれは?

田代  神奈川県出身です。私も彼らがどうして新得にやって来たのか、よくわからなかった部分はあります。ただ、やっぱりあの美味しい野菜を食べた時の驚きが全てを物語っていると思います。

それにしても、初めての監督作品で、撮影も大変だったでしょう。特にドキュメンタリーは撮影開始から完成までに何年もかかることが珍しくないわけです。本作も6年かかっていますね。まず、2002年の撮影開始時の様子から……

田代   <空想の森応援団> を結成して、一口1万円の協力金を募りながら、合宿体制で撮影を開始しました。16ミリフィルムでの撮影でした。2003年までに1万フィート分撮ったんです。

1万フィート! 完成した作品は、作品内の時間軸が1年になっていますね。これは編集でまとめたということですか?

田代  いえいえ。実は、完成した作品で使っているのは2005年1月から2006年2月にビデオで撮った1年分の映像素材なんです。最初に撮った1万フィート分は一切使わなかったんですよ。

えっ、使わなかった!? 1万フィートと言ったら相当な量ですよ。

田代  2003年から2005年まで撮影が中断しました。資金が集まらず、カメラマンも辞めてしまって……

けれど、完成させようと。

田代  もちろんですよ。何としてでも完成させようと。それしか考えていなかったですね。色々考えて、フィルムでの撮影を断念しました。自分で撮影をしようと決めて、ビデオで撮影を再開したのが2005年1月です。ビデオですけど、フィルムと同じように撮ろうと。週に1、2回のペースで撮影をして、2006年2月に撮影終了。それから、病気をしてしまって、編集にとりかかったのが半年後。完成したのが2008年3月です。

しかし、使用しなかった1万フィートのフィルムや撮影開始から撮影再開までの3年間の経験があってこそ、今の『空想の森』という作品が?ある。完成品には映っていないけれど、その3年間は確実に活かされていますね。

田代  そうです。あの経験がなければ、今の形はないですね。

というように、産みの苦しみが数多くあったと。しかし、完成した作品はとても晴れやかなイメージに包まれていました。特に軽トラックの荷台に乗った新得バンドの青年たちが、楽器を弾きながら走り去っていくラストシーンなど、陽気で自由な雰囲気で。映画祭風景も挿入されますが、やはり楽しい雰囲気ですね。一種のユートピアのように見えます。かといって、ユートピア幻想ではない。甘い作品でもない。山田聡美さんが、共働学舎での生活に疑問を感じて独立しようかどうか悩んだりといった、「これで良いのか?」という心の葛藤、ね。そりゃあ、当然あるでしょう。ないと、嘘ですよ。そういった部分もきっちり捉えている。だから、全体は楽しい・明るいイメージなんだけど、それだけじゃない。厳しい面も真っ向から描いて、全体を人間讃歌で包んでいる。そこに希望の光らしきものがあるからこそ、ですね。

田代  そうそう! <希望を描きたい> というのが大きなテーマであり、念願だったんですよ。まず、<自分たちを撮りたい> というのが出発点。そこでやはり、人間が持っている「仲間が欲しい!」という欲求もあって。大変なこともあるけれど、悩みながら前に進んでいく人間の姿。そこに希望がないと生きていけないじゃないですか。その希望を描きたいなって。

完成した作品を御覧になっていかがでした?

田代  生きてて良かったなあって(笑)。とても大事な作品です。

もちろん、本作で終わりということではなく、これからも映画製作を続けられることでしょうが、処女作ですもんね。完成されきった作品ではなくて、どこか原石の魅力があります。荒削りな部分もあるけれど、可能性がキラキラ輝いている。コレ、色んな所で言って回っているんですが、この作品は <土のついたままのジャガイモ> だと思うんです。ゴツゴツしていて土まみれだけど、素朴で味わい深い。新得の野菜って、こんな感じなのかなあ、って。

田代   <土のついたままのジャガイモ> ってイイ表現! 嬉しいです。気に入りました(笑)。映画製作は続けていきますけど、まずはその前にこの作品の上映ですね。小さい作品ですが、観てもらうために作ったんだから、上映もきっちり行っていきます。

小さい作品、大きい作品って、人は言いますよね。私も言いますけど(笑)。しかし、それは予算規模の大小であるとか、知名度の問題でしょう? そういう部分では本作は確かに小さな作品であるとは思うんです。けれど、作り手は皆、どんな製作状況でも真剣に「良いものを!」と思って作っているわけで、志は同じわけです。けれど、悲しいかな、<小さい作品> になる。宣伝力ですね。しかし、本質的な部分で作品の小さい・大きいは観なくちゃわからないんです。そこで、まずは「こういう作品がありますよ」と、作品の存在を知ってもらうことが一番大事なこと。そして観る機会を作ること。観たいと思っても観れなくちゃ仕方ないですから。

田代  そうですね。一人でも「観たい!」という方がいらっしゃるなら、作品を持って上映しに行こう、観てもらおうと思っています。しばらくは自主上映や現在決まっている劇場公開で、この作品に寄り添っていくことになります。そして、お客さんと一緒に私も観て、作品とその空間を共有したいと思っています。上映が終わったら、お客さんとお話をしてみたいですし。自主上映や東京での劇場公開でも、「二回見たい作品だ」と仰っていただいて。ホント、そうなんですよ。一度目と二度目ではまた違う味わいがあって。そこで人と映画が、人と人とがつながっていく。そうなって欲しいですね。

上映会や劇場には田代監督もいらっしゃるわけですね?

田代  東京では毎日劇場にいました。これから公開となる大阪も、名古屋も、そのほか、自主上映の会場も、可能な限り観客の皆さんと御一緒したいと考えています。

 一人の母親が目の前にいた。手探りの製作状況下で、2年も撮影中断を余儀なくされながら、決して投げ出さず、処女作を産み出した映画の母親が、だ。『空想の森』は、田代陽子にとって子宝と同様の存在なのであろう。「小さくて、とても大事な」、そんな愛しき我が子について語り、目を細める。その姿が大変印象的であった。映画好きではなかったという彼女が、映画の神様に見初められたのである。ここに <運命> を感じざるを得ない。「小さい作品」だが、鑑賞後、胸の奥でじんわりと広がり、その存在は日を追う毎に大きくなっていく。見かけによらず「大きい作品」だ。自然と人間の共生が醸し出すのは、産地直送の素朴さと味わい深さ。この高らかな人間讃歌が、一人でも多くの方に届けと願う。心で味わっていただきたい珠玉の一本。

空想の森  http://www.soramori.net/

2008年 日本 2時間9分

監督・撮影・編集・ナレーション:田代陽子

【劇場公開】
11/22(土)〜12/ 5(金) 大阪:十三第七藝術劇場にて、連日10:30〜モーニングショー
1/10(土)〜 1/16(金) 愛知:名古屋シネマスコーレ

【自主上映】
12/14(日) 群馬・高崎:群馬中国医療研究協会(午前・午後の2回上映)
1/24(土) 埼玉・志木:フォーシーズンズ志木ふれあいプラザ(18:30開場 19:00開演

2008年11月24日号掲載 このエントリーをはてなブックマーク
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