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古今漫画夢現-text/マツモト

小池桂一『ウルトラヘヴン』

夢が現実とリンクする、その体験のるつぼ、混沌

久々に夢の話だ。どうやってか、ぼくの映画感想ブログを見つけた友人から、「いくらなんでもひどい」とまとまりのなさや矛盾だらけの内容を酷評するメールが携帯に届いた。もちろんそんな事実はないのだ。でも夢の中ではそのメールを見て、あッ、と思った。自分の隠してきた“もつれ”を見透かされたような気がしたからだ。目が覚めた後もショックが残っていた。ゆらゆらとする感覚。夢の中での出来事が現実に入り混じって、身体にまで影響を及ぼしてくる。

毎日のように夢を見続けていると、夢が現実とリンクする瞬間がたびたびある。今回紹介する『ウルトラヘヴン』は、その体験のるつぼ、混沌にあるような作品でもある。ドラッグが一般に流通する社会。主人公のカブは非正規の売人で、自身も常習者でもある。彼は公園で男に出会い、不思議なドラッグを勧められる。時間や場所が定かでなくなり、もはやどこまでが現実かも分からなくなるほどの強烈な体験。自分の手がうねうねと動くおぞましい触手に姿を変え、壁や樹木と同化する。見ている世界が粉々に破裂する。仮死状態で彼の魂は大氷原の上空を飛ぶ。

このドラッギーな作品を読んだ夜中、眠たいのと同時に神経が変に敏感になったのを覚えている。ウトウトして触れたテーブルのヒヤッとした感触、それが自分に襲いかかってくるように感じて、無性に恐ろしくなってハッと目を覚ます。かと思うと耳の奥から誰かの声が響いてくる。幾重にもエコーが掛かってウワンウワンと唸りを上げていた。

ドラッグを題材にした作品がある中で、『ウルトラヘヴン』はその際立った表現力が特徴だ。一回の体験が何ページにもわたり、それこそ微に入り細を穿って描かれている。普段映像でしか見られない世界がここにマンガとして成立するのは、もちろん作者のずばぬけた画力があるからこそだ。可視的な体験への徹底的なこだわりは、読者を強制的に酩酊状態へと連れていってしまう。

しかし一方で、本作に“人工”的な感じがするのはなぜだろう。もちろんドラッグなどの人工体験を描いているからかも知れないけど、作品全体がとても意識的なのだ。体験それ自体を視覚という手段をもって描写し尽くす態度からは、作者の強固な意志さえも感じさせる。「知覚の扉を開」けて(2巻,p103)、さらに奥深くへと進もうとする姿……まるでニューエイジのようだ。

本作は数年の休載を経て、コミックビームで連載再開している。主人公たちはいったい何処まで内的世界の深みへと向かうのだろうか。物語はまだ始まったばかりである。

2009年3月24日号掲載 このエントリーをはてなブックマーク

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『ウルトラヘヴン』(ビームコミックス、小池桂一)1巻、p.142
『ウルトラヘヴン』(ビームコミックス、小池桂一)1巻、p.142
幻覚に苛まれる主人公。まさにイメージの洪水。右下の波から指へと変わるさまがまるで日本画のだまし絵のよう。
『ウルトラヘヴン』(ビームコミックス、小池桂一)2巻、p.108
同 2巻、p.108
人間の知覚の更なる深みへ向かう主人公たち。既製品に頼るとはいえ、彼らはもはや自己探索することを宿命づけられているようでもある。
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