古今漫画夢現-text/マツモト

安達哲『さくらの唄』

今思い出すのも耐え難い、そんな日々が
生々しく焼きつけられた傑作

「読者の精神をズタズタに引き裂く青春の地獄絵巻」―そう言った方がいた。この言葉は決して過大評価ではないと思っている。神経むき出しだった思春期。気になる人の傍にいるだけでも自分がどうかなってしまいそうだったり、周囲の人が皆冷たい目で自分を見るように感じた日々。今思い出すのも耐え難い。なんて時期を過ごしていたんだろう、とすら思う。『さくらの唄』は、そんな日々が生々しく焼きつけられた傑作だ。

一ノ瀬利彦は、美術部の高校三年生。彼がひそかに思いを寄せていた女性教師は、妊娠を告げて学校を去る。彼女に画塾のパンフレットを渡され、彼は“絵を描こう”と思い立つ。だが彼の悶々とした日々は変わることなく続く。そんなとき彼は仲村真理をふと思う。太陽のように明朗な彼女に出会い彼は映画を作ろうと決心するが、突然現れた叔父夫婦の手により、その芽は潰され、踏みしだかれていく。

この作品の一番の特徴は、十代後半のこころを繊細に描き上げた点、そしてただでさえ不安定な彼の世界を、近親相姦、性的暴力、自殺といった数々のエピソードでものの見事に突き崩してみせた点にある。単なる青春マンガではない。ひりつくようなナマの体験が前半の随所に映し出され、読者を一気に引き寄せたかと思うと、若さゆえの過剰な苦しみが形をなして襲いかかってくる。自身の抱える過去のフラッシュバックなしには読めまい。

作品序盤で、仲村と一ノ瀬 2人が話している場に邪魔が入るエピソードがある。そのときの彼の台詞は印象深い。「幼い頃砂場でお城をつくっていた時 横入りしてきたクラスの二、三人にぶっこわされたときの気分を思い出していた……城がこわれるのをオレは笑いながら見ていた/オレが甘かったと思いながら見ていた」(第 3 話 p.16〜19 )この言葉は本作の行く先を予言しているように思えてならない。さまざまな形で、彼の思いは「ぶっこわされ」つづけていく。

『さくらの唄』というこのタイトル、特にこのうららかな春の日において清新な印象を受ける。しかし、季節の変わり目、新しく何かが始まる時期は、それと同時に不安に満ちたものではないだろうか。寒い間ずっと心の奥底に抑え込み、秘めてきた古い傷がやにわに疼きだすような感覚。また、一見平和に見えるこの「春」とは、凄まじい嵐のキズアトを暴力的に忘却の彼方に押しやるものなのかもしれない。

もし、主人公が本作で描かれた一年間を振り返ることがあるとき、何を思うだろう。人生の春の中で、冬の時期のあの踏みにじられ、阻まれてきた苦しみを。

2009年4月3日号掲載 このエントリーをはてなブックマーク

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w r i t e r  p r o f i l e

安達哲『さくらの唄』(講談社漫画文庫) 第1話、p.27
周囲がすべて自分の苦しみになる。繊細過ぎるがゆえの悩みだ。「帰って早く寝よう」と言うしかないんだろう。

同 第8話、p.2
本作には暗さだけでなく、作者の軽妙なタッチが随所にある。コミカルで、しかしひたむきな姿には救われる思いがする。
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