古今漫画夢現-text/マツモト

手塚治虫『人間ども集まれ!』

異色ですらある太平の姿。
何かが「ある」のではなく、「ない」ことの違和感

 今回は手塚治虫の『人間ども集まれ!』である。主人公・天下太平の精子が男でも女でもない無性人間のタネだということが分かり、脱走兵の彼を捕えた軍は、彼を兵士の大量生産計画に組み込もうとする、という話だ。医学博士の大伴黒主や記者の木座神明は太平の精子を使った人間輸出計画を企てる。太平は、彼らの手により、太平天国と名付けられた島の総統に祭り上げられてしまう。

 手塚治虫の作品は高校までにあらかた読んだと勝手に自負していたが、この歳になって初めて読む作品もあったものだ。一般に、手塚作品は前期・中期・後期に分けられるというが、本作は中期の傑作と言われるらしい。私見だが、たしか前期は『ロック冒険記』『ジャングル大帝』など少年向けの作品、そして後期は『陽だまりの樹』『ブッダ』など劇画調の作品だったか。では中期とは何かというと…あまりピンと来ないのだ。たしかに、手塚氏が自身の作風と当時の流行の間で思い悩んでいた、というような話はどこかで聞いたことはあるが、ではその過渡期が中期に当たるのかというとそうなのかもしれない。ここあたり詳しく知りたければ夏目房之介氏の著書を参考にしてもらいたい。

 そういった手塚作品の歴史から紐解くことなくとも、本作は今までに読んだものよりも違和感がある。何かが「ある」のではなく、「ない」ことの違和感と言えばいいだろうか。実際に画風が特にそう思わせる。前期・後期の代表作に見られるような緻密な書き込みがなく、簡略化された線描によって構成されている。かつて手塚氏はさまざまな作品を模倣して自作品のありかたを模索していたというが、ここではいわゆる大人向けのマンガの手法を取り入れていた。そこには、社会風刺をちょっと盛り込み、性的な事柄も大人の余裕で軽く流すような、そんな知的で洒脱な印象が伴う。しかし同時に、深刻なテーマを正面から描き切るスタンスが影をひそめてしまう。そうなると仮に「味わい深い」とは評されても、作品の全体、テーマ自体はあまり深めようがない。たしかに手塚作品なようで、手塚作品じゃないようで…当時の手塚作品を知らなかったぼくには、キツネにつままれたような「??」が残る。

 主人公の天下太平も妙な役回りだ。自身が話のおおもと、タネだというのに、不思議なほどに深刻さがない。無性人間に殺されることもない。もちろん彼らの生みの親だからだが、次第に驚異的な存在となる彼らに思わず説教したり、亡き妻の面影を見てホロッとしたりと、どこまでも小市民的で人間臭さがただよっているのだ。『ジャングル大帝』のレオも、『陽だまりの樹』の伊武谷万二郎も、事態の渦に巻き込まれて悩んでいるのに対し、この太平の姿は異色ですらある。ラストに至っては、太平が彼の子に言い放った言葉が余情のように響き、ふっつりと終幕となる。

 有性の人間が全滅し、太平とその子どもである無性人間だけが世界に残る。“それで、次にどうなるのか?”には答えが与えられない。唐突な終幕は、余韻を残す。この締め方こそ手塚氏の本領なのかもしれないが、本作にあっては全体の特異さと相まって異質である。本作には読者の心を鷲掴みにする強さはない。しかし手塚氏の本来の関心と模倣的な表現とが平行線をたどるような、そんなすっとぼけた語り口は、かえって作品を作品そのもの、物語そのものとして読者が手にするようなエンターテインメントがあるように思う。敢えて中期を手塚氏の不安定期と呼ぶなら、本作は悪く言えば読者と距離のある、良く言えば軽妙な印象のある作品だ。

2009年4月27日号掲載 このエントリーをはてなブックマーク

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手塚治虫『人間ども集まれ!』(文春文庫―ビジュアル版)第1章「クランプ博士の生体実験 またはいかなる理由で天下太平が兵役を捨てて精子を提供したか」p.41
タイトルの長さからも何か実験的なニオイがする。軽いノリで、誰かに似ている、というのがここまで感じられる手塚作品も多くないだろう。

同 第5章「木座神明が呼び屋として遠大な計画を大伴黒主に打ち明けること」p.124
新聞の風刺画にもなりそうな一コマ。大変なことなのにそれを感じさせない様子…この主人公にしてこの作品あり、という感じ。
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