近況でございます 
角田康弘

[とっておきの場所]
 美利河 
上田美樹

 猟奇<喇叭気味の毎日> 
建速猟奇王

 滑稽時評 
まだいまだ

<予告>
 麻雀詩集を始める前に 
塚本敏雄・柴原利継

“志”を宙に吊って

「通算300号記念*特別顔見世寄稿号」をお届けする。

こうした達成にふさわしく、とりあえず回顧の身ぶりをしてみると、その活動はほぼ6年半弱のものであり、原稿を寄せていただいた執筆者は19名を数えることになる。掲載作品数は、実のところ、あまりに多くて数えきれない(めんどくさい)。毎週の配信を続けながら、編集担当としては、いわゆる文芸関係のサイトを折りにふれ訪れたりもし、驚くようなものをそこで発見することもあったのだが、ネット上で様々に活動するそうした人々の中で、電藝がユニークさを保ち続けえたのは、執筆者の質の多彩さによるところが大であろう。この執筆者たちはそれぞれがまったく異なる方向を向いているように思える。その意味で電藝は毎週やってくる〆切以上の規範をもたず、おそらくは一個の集団ですらない。集団を構成してしまうことを回避するこうした傾向は、実は創刊メンバーが共有する気分を反映しているのかもしれない。電藝は「ごく反動的なる古典的文芸同人誌」を標榜しており、 同人とは(いま調べて初めて知ったのだが)<志を同じくする者> であるらしいのだが、 <創刊の辞> で発行人が述べているように、<志>は、つねにとりあえずのものとして宙に吊られている。

編集担当者は、たとえばのはなし、角田氏の書く「読めば100日寿命が縮まる」(なんというシンプルかつインパクトに満ちた設定!)ような影響力を読む者におよぼす作品が、いつか掲載される日がくるという夢想を断ちきれないであろう。起こるはずがないことを夢みつづけ、それを繰り返してしまう、 <ほとんど、限りなく> 意味のない営為。絶対的に不自由であるにもかかわらず、それをやみくもに乗り越え、無化してしまような <感動> を呼び覚ますこと。書くこと、読むこととは、おそらく、そうしたことにほかならない。電藝は、たぶん、そんな永続的に宙に吊られた夢をみている。

2004.4.25電藝編集部 吉田直平