●小拙が「週刊金水」に初めて参画したのは、1989年の12月である。既に当時から「まだいまだ」であったが、「小拙」(わたくし、と読みます)は未だ使っていない。日付が書いていないので分からないが、その前の投稿が「もこぞう」の12月13日号で、次が主筆(金水正)の12月24日号なので、おそらくその間に発行したものと思う。

●キャノワードというワープロでB5判の紙に印刷し、人数分コピーして主筆に渡していたが、途中から面倒臭くなって、原本のみ渡していた。推定読者は約5名。

●「小拙」というのは勿論小拙の発明で、小拙の亡父が鈴木大拙のシンパであって、その父があっさりと逝ってしまったので、せめて親父の好きだった人にあやかろう、と小拙の一人称を小拙とした。ニフティ「FBUNKA」仲間の京都のピンクさんのコンピュータ(apple)の辞書では「小拙」で「あっし」と出たらしい。どんな辞書なんだろう。

●執筆者は主筆に「もこぞう」、「猟奇」、「BONNY」、「瀬野ともみ」等の各氏であった。執筆者以外の読者はあと1名か2名だったのではないか。

●小拙の次の原稿は90年の2月である。前の主筆が2月10日で次のもこぞうが2月14日なので、その間の日に出したのであろう。91年からは日付に「核時代」を使っていて、晩聲社に相当カブれていたことが窺える。「●」を使って分かち書き形式になったのは92年1月1日号からで、それまでは普通に文章を並べて書いていた。

●件の90年2月の拙稿第2号を以下に再録す。29歳のアホ丸出しである。

 長崎市長本島等氏が右翼団体「正気塾」幹部田尻に撃たれた。『長崎市長への7300通の手紙』(径書房)を発売日に買い読ませて戴いた者として、本島氏のいち早い回復を願う。(それにしても解同の糾弾は的はずれだ)

 88年の末に『天皇にも戦争責任はあると思う』と発言したのが発端だそうだが、法治国として市長を守れなかったのも残念である。例の発言を引き出すことになる質問をした議員と、市長の護衛が税金の無駄遣いと指摘した議員は殺人教唆に相応すると考えているジャーナリストもいる。このハッピーな国家は税金をそこに使わなければどこに使いたいのだろうか。マスコミもこれでは言論の自由はどーなるの的に報道をしたが、市長は『天皇にも戦争責任はあると思う』と云ったのだ。報じて考える(もしくは世論への喚起機能として考えさせる)のなら『天皇にも戦争責任はあると思う』のか『思わない』のかを考えないとあかんのではないかと考えているわけです。まさしくそこがほとんど論じられないところが何よりもダメな日本の面目躍如といったところか。あー子供じみてて情けない。右翼もネオアカ暴力団にならず真のナショナリストとしてテーマをもって活動されたい。日本の各所・各構造のシステムが底では弱い者いじめ(多くは経済価値による一本化された差別)の構造になっている。男右翼であれば弱い者いじめをせなければ右翼の理想にも近づけない。

 私が今最も不思議に感じているのは、昭和天皇御在位六十周年記念十万円金貨大量偽造事件の真犯人に対し多くの右翼諸氏が何故怒り狂わないのかということである。昭和天皇御在位六十周年記念十万円金貨の存在そのものも不敬の臭いを感じておるだろうに、あろうことか空前の大量偽造である。これこそ不敬の至り、極み、SSIMOではないか。偽造に絡んだ全ての人間は皆殺しになるはずである。そうでなければ、私の単純な思考回路の中で本島等長崎市長の銃撃事件はクリアにならない。

 そんなこんなで90年である。いやおうなしに私は今年30歳であり、60年生れだ。2000年に40歳である。40代、50代というのは、社会に於ける責任世代である。つまりいやおうなしに私たちは21世紀初頭の責任世代ということである。その辺のところが妙に気になる今日このごろの29歳である。

 とにかく女は怖い。女の集団は特に怖い。若い女もおばはんもグループになるとロクなことはない。そんなに非道い仕打ちは特別受けた事も女難の相であるということもないが、マザコンのくせにとにかく怖い。20代最後の冒険熊野行に今年出る。

まだいまだ。

― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 

●そして確かその翌年に主筆と熊野に一泊二日で行ったと思う。朝日新聞の旅行社だったか。

●300号記念に青二才のアホ丸出し文を贈る。

2005年4月25日号掲載
▲page top

turn back to home | 電藝って? | サイトマップ | ビビエス


角田康弘 | 上田美樹 | 建速猟奇王
塚本敏雄・柴原利継

まだいまだ p r o f i l e