「アランはそのとき、作家としてよりもむしろ映画作家としてそこにいた。場所は神田と後楽園の間にあるアテネフランスの講堂。時は1980年にさしかかったか、まだ1970年代の終わりだったか……。」

――その語り方は、物語にふさわしくないわ。物語には歴史的過去を使うべきよ。そうでないと、誰もお話だってことわからない。だからそんな風に、時間の指定に主観が入り込むのは物語的でないよ。

――でも、インターネットを調べても、アラン・ロブ=グリエがいつ来日したかということを書いてあるサイトが見つからないんだ。

――そんなことはどうでもいいわ。あなたは論文を書いてるんじゃない。お話を書いているだから、断定的に書かなくちゃ、読者に疑問を抱かせるわよ。そもそもアランが、そのフィルムを上映してみせたのも、アテネフランセではなく、神楽坂の日仏会館かもしれないわ。

「時は1981年の3月の終わり(――嘘だ。)、後楽園の駅からアテネフランセに向かう坂道の、中央線の線路へと傾斜する土手の桜が生暖かい風にほころびかけていた(――これも嘘だ)。連続の上映会を取りこぼしなく見るために、KやAは早い時間から会場に足を運んだ。上映された作品は、『不滅の女』、『ヨーロッパ横断特急』、『快楽の漸進的横滑り』(――のすべて、あるいはその一部)だった。

――KとAは、そこで出会ったの?そこにはK一人で行ったのではなかったの?

――KとAが、アテネフランスの上映会の後に出会ったのは確かだ。Kはその時、共通の友達のWにAを紹介されたんだ。左翼学生だったAに対して、Kはその時「主体性なんて存在しない」と嘯いてAを困らせたと、後にAが語っている。

――でもそれはKがまだ浪人生の時のことでしょ? では1981年という日付は間違っているわ。

――そんなことはどうでもいい。

「話を先に進めよう。

アランはそのとき、作家としてよりもむしろ映画作家としてそこに立っていた。その上映会で、Kの印象に強く焼き付けられたことのひとつは、上映されたフィルムに登場する女性の黒々とした逆三角形の陰毛だった。上映会後の質疑応答で、一人の質問者が、当時まだ禁止されているはずのその黒い逆三角形が衆目に曝されたことにクレームをつけた。弁解しようとする主催者を遮るように、アランはそのとき、次の質問を促した。」

ヒッチコックの『北北西に進路をとれ』の最終シーンで、ラシュモア山の絶壁から落ちかかるエヴァ・マリー・セイントにケーリー・グラントが手を差し伸ばし、彼女を引き上げる瞬間に場面が切り替わり、夜行列車の上段のベッドにエヴァは引き上げられる。次の瞬間、夜行列車はトンネルの中に吸い込まれて行き、映画は終わる。Kに大きな影響を与えた蓮實重彦は、このシーンを猥雑なクリシェだと語った。アランの映画には、クリシェがちりばめられていた。黒々とした逆三角形もクリシェの一部だった。クリシェはアランの蜘蛛の糸であり、アランは観客がその糸にからみ捕られるのを見てよろこんでいた。アランの映画は、難解であるというよりは、難解さのクリシェであるようだった。

そのとき、アランが何を口実に、どんな団体の要請で来日したのかは分からない。しかし、アランはそのとき、作家としてよりもむしろ映画作家としてそこに立っていた。

2008年3月17日号掲載

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