資本主義について

怖い顔

多すぎる

ロックなんて誰も聴いていない

魂の本屋

夏なので怖い話を。媒図かずおに「怖い絵」というマンガがある。金持ちの家に後妻にやってきた娘。階段の途中に前妻の肖像画が飾ってある。その顔は優しげに微笑んでいるが、手には一振りの剣をもっている。結婚生活の幸せが深まり、日が経つにつれて、その肖像画の顔がどんどん怖くなる。でも、怖くなった顔は後妻にしか見えない。「こわい…」と媒図ゲジゲジ文字の吹き出しでおびえる後妻。やがてある夜、媒図的にものすごい怖い顔になった前妻が、額縁を抜け出し、剣を手に後妻の寝室に乗り込んでくる。きゃあ。
でもこれはありえない話ではない。肖像画なんてだいたい怖いもんで、暗いところであまり見るものではない。ほら、いつのまにか舌を出していたりする。
吉田直平は、5月9日の電藝掲示板への書き込みでこう書いている。
「『バイオハザード2』など、ホラーアドベンチャーと呼ばれるこのたぐいのゲームが興味深いのは、恐怖にみちたまなざしによる世界の再発見という点である。たとえば建物の壁にとりつけられた非常階段の裏手。鉄パイプや段ボールが放り込まれた路地。いつのまにか改札口の脇に設けられたキャッシングコーナーのボックス。スーパマーケットの奥の、薄暗い従業員用休憩室。…」
これもまた、表情現象である。別に「恐怖にみちたまなざし」で見なくても(特定の心理的バイアスがかかっていなくても)、例えば子どもたちは寝室の天井の木目やカーテンの襞、シーツの皺などに怖い顔を発見しておびえる。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」というが、人間は(動物もそうらしいが)至る所に「怖い顔」を見てしまい、おびえるのである。これはもちろん「心霊写真」のカラクリでもある。人面魚とか人面疽もそうだ。
ここで、「伊藤潤二のマンガにおける怖い顔」について論じようと思い、深夜にも関わらず『富江』の本をもってきてうっかり開いてしまったのだが…。きゃあ。(護法)

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