『実録・連合赤軍
あさま山荘への道程(みち)』

「志」から生まれた大傑作!
若松孝二監督インタビュー

連合赤軍 あさま山荘への道程
©若松プロダクション


真剣勝負に備えて、一つだけ危惧したこと。

 去る2008年2月5日。日本映画界の雄・若松孝二監督にインタビュー。入魂の最新作『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』についてお話を伺いました。

 インタビューの模様をお伝えする前に、どうしてもお伝えしておきたいことがあります。

 この作品、昨年秋に鑑賞させて頂いたのですが、以来ずっと「大傑作だ!」とアピールし続けています。映画鑑賞で、これほどの衝撃を感じたことは決して多くありません。圧倒。そう、まさに圧倒です。鑑賞後、あまりの充足感に言葉を失うという、このえもいわれぬ充足感を、1人でも多くの方と共有したいと心の底から願っているからです。

 私は、連合赤軍やあさま山荘事件をリアルタイムで知らない世代の人間です。映画や書籍を通じて、その内容を少しは知っていましたが、決して詳しくはありませんでした。なのに、「連合赤軍」という語句にはネガティブなイメージを持っていたのです。詳しく知らないのに、です。そういう方、私以外にもきっとたくさんいらっしゃることでしょう。だから、本作のタイトルだけで鑑賞を避けてしまうという方もきっと多くいらっしゃるだろうと思うのです。そんな中、本作を鑑賞するに当たって危惧していたことが一つあります。それは……

「もしも、連合赤軍を一方的に肯定するような作品だったらたまらないなぁ……」

という危惧でした。「もしも、そういった独善的なプロパガンダ作品であったなら、はっきりと批判しよう」と決めて試写に臨んだことを憶えています。その日、若松監督がいらっしゃる事と聞いていました。それだけに、「万が一、感想を求められるようなことがあっても、一切おべんちゃらは言わないぞ!」と自らを奮い立たせたりもしました。いくら大監督であっても、一作一作が真剣勝負なわけです。ですから、私も映画ライターとして一作一作に正面から向かい合います。

 上映終了後、「面白かったです。心から面白いと思いました」と伝えました。この一言に私の思いが全て詰まっています。ですから、「×××な作品だったら嫌だな」「どうせ×××な感じの作品だろう」いう先入観はお捨てになって頂ければと思います。本作は、戦後の日本映画界に生まれた大いなる足跡であり、真に重要な作品として評価されることになると断言しますよ。といったところで、若松孝二監督インタビューの模様をお伝えしましょう。

俺にしか作れない映画だ、
俺にしか出来ないんだ。

―――世間では、「なぜ今、連合赤軍事件を映画化するのか?」と疑問に思っておられる方も多いようです。まず、その点について、監督の思い・狙いというものをお聞かせ下さい。

若松 あさま山荘の中や、そこに至る過程で何が起こったのか、本当のところを誰も知らないという状況があるんですよ。酒場なんかで「昔は良かった」なんて、今の若い人たちを否定しながら、当時のことを知ったかぶりしている連中に限って、その時代に何もやっていなかったヤツらなんですよ。そういった状況に対して真実を示したいという思いですね。「違うんだよ」と。連合赤軍のメンバーというのはエリートなわけですよ。頭が良くて、名だたる大学に行っていてね。そのままでいれば、将来は約束されていたわけです。そんなエリートたちが、何故、私利私欲を捨てて革命運動にその身を捧げたのか。そこにある、人間が持っている性さがを描きたかったというのがありますね。

―――非常に懐かしい匂いもしますね。現代の日本映画にない香りも感じましたが。かつてのATG映画のような雰囲気を。

若松 これは俺にしか作れない映画だ、俺にしか出来ないんだという思いがあります。今の日本映画界は、TV局が大きな予算を組んで、宣伝CMをバンバン流してね。それで癌で死ぬ人なんかを主人公にして、悲しい音楽をジャジャーンと流して、お涙頂戴をやっている。そんな作品ばかり。志がないですよ。癌になったら死ぬんだよ(笑)! 一本の映画が人生を変えることがある。映画っていうのはそれだけの力を持ってるんですよ。俺は叩き上げだから、大学出の監督とは違う。予算じゃない。学歴じゃない。文法もない。映画作りで一番重要なのは「志」ですよ。そして、その「志」が俺にはあるし、金がなくても撮れる方法を知っているから。

―――私は、この作品をお世辞抜きで大傑作だと感じました。時代の再現がどれだけ真に迫っているかといったよりも、まず映画として非常に「面白い!」と感じました。実録作品・社会派作品という先入観がありましたが、実際に鑑賞してみると、これは素晴らしい青春映画じゃないかと。青春という普遍的なテーマを見事に描いていて、2000年代に発表されることに違和感など全く感じませんでした。私は連合赤軍事件を知らない世代ですから、体験世代とは感じ方が異なると思います。若い世代にも、いや、若い世代にこそ鑑賞して欲しい作品ですね。

若松 ありがとう。そう言って貰えると本当に嬉しいです。俺には「真実をきっちり残さなくちゃいけない」という思いがあって、それを「オトシマエをつける」と表現しているんですね。自分に対するオトシマエという意味も大きくて、「この作品を撮らないことには死ねない!」と。だから、周囲では「遺作だ」なんて言われています(笑)。

表現する人間がね、
権力側から描いちゃいけないですよ。

―――ラスト近くで、加藤三兄弟の末弟・元久が「あるセリフ」を叫びますよね。これは、監督の若者に対するメッセージじゃないかと感じました。とても重要なセリフだと捉えたのですが、どうでしょうか? また、現代の若者に対してどう思われますか?

若松 そうです。あれは、加藤元久のセリフですが、同時に、俺からのお客さんに対するメッセージでもあります。今の若い人たちに対して、彼らと同じように戦えなんて思いません。「にだけは行くな!」という願いを持っています。「徴兵制がない日本を維持するために、憲法第9条だけは変えない!」という決意を持つくらいはしないとね。

―――この10年ほどで、連合赤軍関連の映画がいくつか発表されましたね。まず、『鬼畜大宴会』(1997)。大阪芸術大学出身の熊切和嘉監督は私と同じくその時代の非体験者ですが、学生運動とその内ゲバを題材としてこの作品を発表し、一躍脚光を浴びましたね。

若松 熊切君は、現代の若手映画監督として非常に才能を感じます。ただ、「この題材」という部分では違うんですよね。「彼らはもっとちゃんとした思いで運動していたんだ」と直接彼に言いましたよ。

―――その次に『光の雨』(2001)ですね。高橋伴明監督が立松和平の原作を映画化した作品ですが、舞台は現代でしたね。映画の中で「あさま山荘事件の実録映画を撮っている」という設定で、映画内映画という入れ子構造でした。いわば変奏曲であって、ワンクッションある作品でした。

若松 そう。まさにその映画内映画という部分がどうも遠慮というかね。直接的に真実を描くというのとは違ってましたね。高橋伴明は俺のプロダクションにいたからあまり悪くは言いたくないし、頑張って撮っていたけれども。

―――そして、続けざまに『突入せよ!「あさま山荘」事件』(2002)が登場しましたね。東映系で全国ロードショーされた話題作でしたが。

若松 『突入せよ!「あさま山荘」事件』だけは許せなかった。表現する人間が権力側から描いちゃいけないですよ。あの作品は、山荘の内側が全く描けていなかったでしょう?「何故、あの若者たちがあさま山荘に立て篭もったのか?」そこが全く判らない。ただただ警察からの視点だけで、映画が始まったらもう立て篭もってしまっている。「なぜ?」が全く解明されない。しようともしていない。あれじゃ、彼らがあまりにかわいそうじゃないかと。役所広司が警察側の指揮を撮った佐々敦行を演じていたけど、ベートヴェン聴きながら両手を優雅にさ、こう……冗談じゃねえっ(苦笑)!! ある意味、あの作品が今回俺にこの作品を撮らせたとも言えるけどね。どの作品も実録じゃない。『実録・連合赤軍』を撮ることが出来るのは、もう俺しかいないだろうと思って。ゴジ(長谷川和彦監督)が「撮りたい!」ってずっと言ってて、「なら、俺は何でも協力するよ」と言ってたんだけど、実現しなかったしね。

―――190分という長尺ですが、全く長く感じませんでした。むしろ、もっと見ていたいと思ったほどです。

若松 あさま山荘に至るまでの経緯を描かないと絶対にダメだという思いがあったんですよ。

佐野史郎はね、新宿で呑んでいたら、
「坂東國男を演じたい!」って。

若松 「あの時代に何が起こっていたのか?」「若者たちはなぜ殺しあわなくてはいけなくなってしまったのか?」その過程には、成田空港建設を巡る三里塚闘争や、日米安保反対闘争、学園紛争などが背景にあったわけで、そこもしっかり描いて説明しないといけない。「昭和」を描こうとするなら、連合赤軍は絶対に避けて通れない存在なんです。ゾルゲ事件や2.26事件を描かなくても「昭和」は描けるけれど、連合赤軍は外せない。だからきっちりと、誰にでもわかってもらえるようにと考えました。インテリ層ばかりが見る映画は赤字になってしまうけど、俺はそうでない人も両方がわかる映画を撮る。それをしていたらどうしても190分が必要だったというわけです。今回、中学生の人にもわかるように撮ってます。実際に試写でも、その時代を知らない世代の人たちが夢中になって見てくれていますよ。特に女性は皆、涙を流して見てくれてる。

―――キャスティングについてお聞きします。今回、非常にタイトな製作費ということでしたが、キャスティングはどのように?

若松 ほぼ全員がオーディションです。俺は普段テレビを殆ど見ないし、若手の俳優もあまり知らないから「ARATA? 誰だ?」という感じでね。RIKIYAという人も、「監督、RIKIYAさんが来ましたよ!」と言うから、俺はてっきり友人の(安岡)力也だと思っちゃって。「力也、どこ?」って(笑)。キャスティングに関しては条件を出しました。まず、1人で撮影に来ること。マネージャーやお付きは一切無し。それから、衣装もメイクも自前。その状態で合宿ロケ。

―――ARATAさん、素晴らしかったですね。これまではモデル出身で、どこか植物的なイメージがありましたから意外でした。元々関心がおありだったのでしょうかね。この作品の後、ロシアのドキュメンタリー映画『暗殺・リトビネンコ事件 <ケース> 』の予告編ナレーションを担当したりしていますが。

若松 目覚めたんだな、この映画で(笑)

―――遠山美枝子を演じた坂井真紀さん、大熱演でしたね。彼女もオーディションですか?

若松 そう、オーディション。坂井さんはね、佐野史郎の友達なんですよ。で、オーディションをやってるって知らせたんだって。それで来たの。

―――佐野史郎さんは若松組の常連俳優ですが、彼もオーディションで?

若松 いや、彼はオーディションじゃないですね。佐野史郎はね、新宿で呑んでいる時に、俺が「連合赤軍の映画、やるぞ!」って言ったら、「坂東國男を演じたい!」って。「バカかお前は。歳考えろっ!」って(笑)。オーディションじゃないのは、永田洋子を演じた並木愛枝さん。

―――彼女、素晴らしかったですね。鬼気迫るものがありました。

若松 並木さんはね、俺がぴあの映画祭(PFF=ぴあフィルムフェスティバル)の審査員をやった時に、『ある朝スウプは』で「こりゃ凄い女優だ」と思っててね。永田洋子のキャスティングと考えた時に、彼女で行こうと。いや、ホント、凄いね、彼女は。

―――ナレーションが盟友と言える原田芳雄さんですね。

若松 ナレーションの録音、俺の家でやったんですよ。短い時間でパパっと。もうお互いに好き放題言い合える仲でね。録音当日、俺、風邪で。「監督、ゴホゴホうるさいから部屋出てってくれ」って。追い出された(笑)。

―――音楽がジム・オルークさん。元ソニック・ユースのメンバーでもあった人ですね。若松映画の音楽をジム・オルークが、ということで意外に思われる方も多いと思うのですが、これはどのような経緯で実現したのですか?

若松 ジム・オルークが俺の映画の大ファンだって言うんですよね。もう、全部見てるって。それで「絶対にやらせてくれ!」と言ってくれたんで。実は別の某女性シンガーソングライターでという話もあったんだけど、「ジム・オルークでいく!」って断った。だって、最初に「俺と付き合うなら日本語話せるようになって来い!」って言ったら、一年後にホントに覚えてきたんだもの。断れないでしょ(笑)。でも、途中ウンザリしたと思いますよ。十何回もダメ出ししたから。やっぱりね、ジム・オルークの音楽なんだよね。作って来るのが。「違う、違う」って。俺はね、「ジム・オルークの音楽そのものが聴きたいならライブに行って」って思う。俺の映画の、『実録・連合赤軍』に合う曲が欲しかったから。いやあ、頑張ってくれましたよ、彼も。


この作品は俺のオトシマエですから。

―――若松監督は、以前に「映画監督には時効や執行猶予はない。映画は俺が死んだ後にも残るから、自分の作品にいつも責任を持たなくちゃいけない。」という名言を残されていますが、その覚悟が本作にも表れていますね。本作の製作費として自費をつぎ込まれ、撮影で御自身の別荘を壊されたと聞きます。その上で、一般からのカンパを募ったと。若松監督の本作に懸ける熱意が多くの人に伝わったからこそ実現した企画ですね。

若松 いい加減なものは作れませんからね。責任を持てる仕事をしなくちゃいけないし、先にも言ったけど、この作品は俺のオトシマエですから。

―――最後になりますが、先ほど、周囲では「遺作だ」と言われているとのことでしたが、そんなことはないですよね? 現在、新作の企画はありますか?

若松 いくつかありますよ。中でも、(『17歳の風景 少年は何を見たのか』(2005)に続く)3部作構想である『17歳』シリーズの2作目をやりたいですね。17歳のテロリストと呼ばれた山口二矢やまぐちおとやを主人公とした作品です。1960年に、日本社会党委員長・浅沼稲次郎を刺殺して逮捕。その後、房で首を吊って自殺してしまいます。撮りたいですね。

―――遺作ではないということで安心しました(笑)。次回作も楽しみにしております。本日はありがとうございました。

 

 このインタビューの後、若松監督は本作のベルリン国際映画祭出品のため、渡独。ほどなく、大きな勲章を2つも手にし、帰国されました。帰国後のインタビューの模様は次回お伝え致します。

連合赤軍 あさま山荘への道程


【若松孝ニプロフィール】映画監督・映画プロデューサー・脚本家。1936年宮城県生まれ。高校中 退後、17歳で上京し、様々な職を経験。ヤクザ時代に投獄され、出所後、 監督業に転進したという経歴の持ち主。1963年、ピンク映画『甘い罠』 で映画監督デビュー。1965年に若松プロダクションを立ち上げ、足立正 生や大和屋竺といった才人が集まる。現在までに100本を超える監督作を 発表している他、大島渚監督作品『愛のコリーダ』などの製作者として も知られ、海外での評価も高い。『実録・連合赤軍あさま山荘への道 程』で、第20回東京国際映画祭「日本映画・ある視点」部門の作品賞を 受賞したほか、第50回ベルリン国際映画祭フォーラム部門でCICAE賞と NETPAC賞の二冠に輝いた。名古屋の映画館・シネマスコーレのオーナー でもある。監督としての代表作には、『壁の中の秘事』『犯された白衣』『天使の恍惚』『赤軍派-PFLP世界戦争宣言』『水のないプール』『寝盗られ宗介』『完全なる飼育赤い殺意』などがある。


実録・連合赤軍あさま山荘への道程(みち) http://wakamatsukoji.org/

 「革命」に、すべてを賭けたかった……

2007 190分 日本
監督・製作・企画:若松孝二 原作:掛川正幸 脚本:若松孝二/掛川正幸/大友麻子 撮影:辻智彦/戸田義久 美術:伊藤ゲン 音楽:ジム・オルーク ナレーション:原田芳雄出演:坂井真紀/ARATA/並木愛枝/地曵豪/伴杏里/大西信満/中泉英雄

公開中    シネマスコーレ(名古屋)
公開中    テアトル新宿(東京)
3月22日   テアトル梅田(大阪)
3月29日   第七藝術劇場(大阪)
3月29日   京都シネマ(京都)
3月29日   シネテリエ天神(福岡)
4月12日   シネマ5(大分)
4月19日   シアターキノ(北海道)
4月19日   桜坂劇場(沖縄)
4月26日    アートビレッジセンター(神戸)
5月3日     Denkikan(熊本)

2008年3月10日号掲載
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