追悼:Jacques Derrida
text/大須賀護法童子・キムチ
「視覚ではなく、涙こそが目の本質である」。そのことを教えてくれた哲学者が死んだ。もう俺にできることは、ページを繰り続けることだけだ。大須賀護法童子「涙で文字が読めない」
いったいあれはなんだったのか? そして、それに意味がなかったわけではあるまい。そのことを確かめる作業は、現代という時代を生き、考え、そしてそれを個々の思索者の著作と突き合わせる作業の中からしか生まれない。デリダの著作は、それに値するものだ。キムチ「世代的な区切りとして」

自己費用で
帰ってもらいたいのは
自衛隊のほうだ。
text/キムチ
イラクで武装グループの人質となっていた日本人が解放された事件に対し、自己責任論が取りざたされ、かかった経費の一部が自己負担となったと報道 されている。忙しく仕事をしている中で政治の話をすることはまれであるが、たまたまそんな仕事中の雑談で、私の周辺の多くの人たちがこの「自己責任論」に憤りを感じていることを知ることができ、きっとそれがごく普通の日本人の感じる常識論なのだと思い、ではどうして政治の世界ではああしたひねくれた考えが前に立って通用してしまうのかとあらためて不思議に思う。...

世界の中心で、
愛を叫ぶ
text/キムチ
知人のマーケッターが、荷宮和子の『若者はなぜ怒らなくなったのか 団塊と団塊ジュニアの溝』(中公新書ラクレ)という本の話をしてくれる。荷宮和子は団塊と団塊ジュニア世代にはさまれた「くびれ世代」の女子供文化評論家(われわれと同世代だ)。この本は基本的に、一世代前のオバサンとして怒らなくなった団塊ジュニア世代に対してもっと怒れとアジっているらしい。...

イチローは
偉い。
text/キムチ
イチローは、唯物論主義者である。イチローはあらゆる「タイトル」を問題としない。問題は、スタジオにおいて、白球とゲームの流れの中において、自らがどのような運動軌跡を描きえたかに限定される。「タイトル」は、それらの結果が、凝固した惰性態であるにすぎない...

新しい世紀の
<内声>
text/金水 正
子どもの頃、サンダーバードの国際救助隊の隊員がいまでいうデジタル表示の腕時計を持っていて、それをかっこいいと思いながら、いつかそんな時計が本当に現れるのはもっとずっと先のことだと思っていた。心のうちで誰かの声を思い浮かべるとき、心のうちで音楽を鳴らすとき、どこかで軽やかなエンジンのようなものがそれらの発声を支えているのを感じることができる...

傘がない
「空」ではなく、
「数字」でさえなく、
数字について
text/キムチ
我々は、ボーナスの考課の時期ともなると、評価されるなり、評価するなり、自分たちの行為がBやB’やDといった記号に還元され、それによって生活の元手となる所得が決定されてしまうことに釈然としないものを感じざるをえない。いったいぜんたいどうしてこんな事になってしまったのか、その元をたどって、マルクスは価値形態論を書いたのであるらしいが、そこでは「貨幣」というものが、根源的な謎として提示されているようだ...

新しい戦争
に向けて
先のアメリカにおける「同時多発テロ」についての、複数の立場の人たちによる表明を転載します。これらのテクストはAMLというメーリング・リスト(富山大学の小倉利丸氏が主宰する社会運動の情報交換のネットワーク)のバックナンバーからとられたものです。興味のある人は、直接サイトに当たられると良いでしょう。
http://www1.jca.apc.org/aml/...

人を殺しては
いけないか

text/金水 正
TBSのテレビ番組、「ニュース23」の夏休み特集に出演した高校生が「人を殺してはいけない理由が分からない。自分は死刑になりたくないから殺さないだけだ」という主旨の質問をして、その場にいた大人たちの猛反発をまねいたそうだ。このちょっとした出来事は、この高校生の発言もさることながら大人たちがほとんどまともにその質問に答えることが出来なかったということから人々の印象に残ったようだ...

なぜ
人を殺しては
いけないのか?

text/金水 正
『文藝』誌11998年夏号「特集・なぜ人を殺してはいけないのか?」を読んでの感想は、こんなアンケートに答える必要がなくて良かった、というものだった。勿論、市井の私のところにやってくるいわれもないのだが、にもかかわらず、答える必要がなくて良かったという感想をいだくというのも変な話ではないか...

 

 

マーケティング論
批判序説

text/キムチ
マーケティング論とは、何よりもまず「読み」の技術である。それは、同時に、消費者の求めるもの(ニーズ)を商品という形で実現するための技術だとも語られる。しかし、それが前提してきた世界観は、結果的に世界を不安定にし、アン・コントローラブルなものにしているのではないか?...

私は
星野元監督を許さない

text/キムチ
けっして格好良すぎる辞め際と、その後の今期の乗り切れない阪神の成績から星野元監督を許さないといっているわけでない。星野元監督を許さないというのは、彼が暴力監督だからだ。暴力監督としての彼を批判する声が、少ないわけではない。例えばスポーツライターの武田薫、マーティ・キーナート、小説家の大西赤人などである。.

不良の文学、
優等生の文学。

text/キムチ
たまにはイマドキの小説も読んでみようと思って、「文藝春秋」を買って、30回芥川賞受賞の二作品を読んでみた。山田詠美の言う通り、金原ひとみのしっかりとしとした描写が描く世界は、その素材(アイテム)にも関わらずむしろ常識的であり、それを描く筆致もあわせて不良のものとは言えなかろう。...

正しい日本語の
ロック

text/キムチ

和田アキ子の35周年記念にクレイジーケンバンドの横山剣が『ルンバでブンブン』という曲を提供したとかで何かの雑誌で二人が対談したという記事が新聞に載っていた。あの和田アキ子がいつになく神妙な様子で語っているというのも(どうでもいいけど)興味を引いたが、一番興味を引いたのはあの近田春夫先生が日本語のロックを逃げずにまともにやっているとかでクレイジーケンバンドを評価しているというそのことにだった。それでさっそくインターネットでクレイジーケンバンドをダウンロードして聞いてみる...

反戦運動「殺すな」呼びかけ&デモ報告
text/慧 厳

先日、敬愛する評論家、椹木野衣氏から以下のようなメールが届きました。『日本・現代・美術』『爆心地の芸術』などの気鋭の批評書で知られる氏は、これまで、戦後の生きた歴史的時間軸から取り残された特殊な「悪い場所」としてのこの国において、いつのまにか制度の中に取り込まれ形骸化していった「現代美術」に対して、ほとんど美術評論家としてたった一人の真っ当な疑義を呈し、闘い続けている人物ではないかという印象を禁じ得ません。...

文学と芸術の
社会学
text/金水 正
ブルデューは「芸術愛」的な言説が飛び交うコミュニケーション空間自体を制度的な「場」と捉え、それを「芸術場」もしくは「文学場」と命名し、その「場」の成立自体を「科学的」に分析しようとする。では、この「芸術場」ないしは「文学場」はいつどのようにして成立したのか...

文学は
使うしかない
text/大須賀護法童子
今日許しがたいのは、文学を根拠なく聖別する退廃的な態度をいまだ多くの作家が取り続けていることだ。先日、文芸評論家の渡部直己に近畿大学教授としての意見を聞く機会をもったが、「文学を教育するんじゃなく、文学で教育する。学生に文学を通して生きる力を与える」と、彼が文学の有効性をはっきり肯定していることに好感をもった...

オポチョトーリオの石榴
text/金水 正
となりのトトロでおばあちゃんの畑でかぶりつくトウモロコシは、弾けるような黄金の粒を蓄えた甘いトウモロコシだったに違いない。それを神話の始まりの日のように味わうことができたのは、彼女たちが町から引っ越してきた子供だったからだろうか。いまわれわれの食卓の上にならぶトウモロコシは、コンビニで塩ビのラップに包まれたどれも同じ大きさのトウモロコシです...

アポロ11号
text/キムチ
1969年にアポロ11号が打ち上げられ、ザ・キングトーンズの「グッド・ナイト・ベイビー」が流行した。東大の安田講堂が火炎と放水に包まれ、1970年には日本万国博覧会が大阪で開かれ、三波春夫が「万博音頭」を歌った。そうした風俗がこの映画の背景に描き込まれている。日本万国博覧会のテーマは「人類の進歩と調和」だった...

 
アグレイブ、
イラク、
2004年。

text/キムチ
現代世界において、戦争は恒常的な存在となりつつある。戦争は「例外状況」ではなくなり、そして戦争の暴力と脅威は、日常生活や権力の通常の機能にまで浸透して、バイオパワー(生−権力)となっているととネグリらは書く。..

[検証]
戦後50年の
ベストセラー

text/引地 正
最も冊数が売れたのは、1995(の9億6,756万冊。稼働人口数が 8,700万人であるから、稼働人口一人当たりの購買冊数は11冊、人口一人あたりでは 7.7冊で。この年は日本人が歴史上で最も本を読んだ年だったに違いない。一月半に一冊本を買って、友達に借りたりしたかもしれないから、殆ど毎月本を読んでいたに違いないのである...

ポストモダンとしてのエコロジー
あるいはエコロジーは思想たりうるか?
text/金水 正
私の不確かな記憶からいえば、サルトルはマルクス主義を現代人にとって不可避なアポリアであるといった。サルトルにとって、マルクス主義がそう表れていたように、われわれの前にいま「エコロジー」という怪物がそう表れているように思える。まずエコロジーについて考えることはわれわれにとって不可避なことのようである...

フットボールの
窓に凭れて
text/香村聡史
トルシエは予定調和の世界に安在することを激しく憎んだ。最後の最後まで競争システムが貫かれ、おかげで多くのプレイヤーが磨かれた。成長は破壊の後にやって来る。破壊と再生を繰り返すことで日本代表は成長してきた。日本はグループリーグを1位で突破し、決勝トーナメントに進んだ。そしてそこには予定調和の世界が生まれる雰囲気があった。彼はそれを憎み、メンバーを組み替えることで再び破壊と再生に賭けた。そんなふうに思えてならない...

遊歩者は
近代を批判する
ことができるか?
text/金水 正
遊歩者(flaneur)は、19世紀の初頭に近代都市の発達とともに発生した。「遊歩者」という言葉は、ヴェルナー・ホーフマンの『ナナ マネ・女・欲望の時代』の記述によると1940年代初めのジュール・ジャナンの監修による『心理学』シリーズの一巻のタイトルとして取り上げられていることが分かる。フランスにおいては(あるいはパリにおいては)、19世紀の前半において、気ままにパサージュを遊歩し、そこに飾られている商品を眺めている者たちの存在が既に話題となっていたようだ...

福沢諭吉の
可能性を読む
ということ
text/金水 正
福沢は、その偉大さ故に、彼の時代にすでに、現在私たちが獲得することのできた自由で民主的な歴史観を獲得していたのだ。...

電藝批判
そして/あるいは
text/金水 正
電子メディアの発達によって、さまざまな情報がネットワークの中を流れるようになった。そのことによって人々は必要な情報に簡単にアクセスできるようになったと考えることもできるし、あるいは、むしろ必要な情報をどんどん蓄積していける者と、簡単にはそうした情報にアクセスできない者との情報階級格差がむしろ広がっているとと考える人もいるわけです。...

内声の政治学
text/安宅久彦
何をそんなに不満そうな顔をしているのだ? お前が欲しがるものすべて、とまでは言わないが、生きていくのに必要なものはすべて与えたはずだ。何が不足なのだ? どこに問題があるのだ? なぜそんなに不機嫌な顔をしているのだ? そうだ。そもそもの問題はどこにあったのだろう。...